井上直哉
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こんにちは。
心理とスピリチュアルの専門家 井上直哉(@my_earth_naoya)です。
スピリチュアルな能力に興味のある方なら、「覚醒」や「目覚め」「悟り」という言葉については、少なからず興味をお持ちのことでしょう。
それらの言葉は、スピリチュアルな意味で用いられると、ある特定の意識状態を表すものとなります。
今回の記事では、どうすれば私たちがスピリチュアルな能力を開発して、覚醒と言われる意識状態になれるのか、そんな方法についてお話ししたいと思います。
なお、これはとても注意が必要なことですが、「スピリチュアルな能力の向上=覚醒」とはなりません。
また、「スピリチュアルな能力の開発=人格の向上」ともらないので、その点も含めて詳しくお伝えしましょう。
<目 次>
スピリチュアルな能力≠覚醒
まず最初に、先日ある方からいただいた、スピリチュアルな能力についての相談を紹介し、大切な注意点についてお話します。
きっとあなたも、これまでに同じ疑問を感じたことがあるかもしれません。
ある女性からの質問
ある女性が、私にこんな質問をしてきました。
彼女が以前に出会った、スピリチュアルな能力を持っている人が、人格的には受け入れられない相手だったのでしょう。
ですから、私にそんな質問をしてきたのだと思います。それに対する私の回答はこうです。
いえ。ヒーリングや霊視、占いなどスピリチュアルな能力と、人格は全くの別問題です。
それに必ずしも、スピリチュアルな能力を開発したからといって、誰もが覚醒するとは限りません。
スピリチュアルな能力と人格や覚醒は別問題
意外と多くの方が、スピリチュアルな能力を開発していけば、誰もが人格が整い、いずれは覚醒に至るのだろうと思っています。
でも、この女性の質問に私が答えたように、スピリチュアルな能力と人格や覚醒は全くの別の問題です。
スピリチュアルな能力を開発したからといって、必ずしもその人の人格が整い、覚醒と呼ばれる意識状態になるとは限りません。
でも逆に、覚醒や悟りとされる意識状態に至るための訓練をしていけば、自然とその人の人格は整い、スピリチュアルな能力が開発されていきます。
大切なポイントは、スピリチュアルな能力の開発だけを闇雲に追いかけても、道を誤る可能性がある点です。
これは、サイキック能力と言われる超感覚的知覚も同じです。
実際に起きている出来事
私は今までに仕事柄、色々な方の相談を受けてきました。
その中には、スピリチュアルな能力を持った宗教家に従っている人や、有名な霊能者に相談に行っていた方もいます。
ある女性は、嫁ぎ先の家が新興宗教に熱心で、自分も入信したものの、教祖とされる方から肉体関係を強要され、心に深い傷を負って相談に来ました。
またある女性は、人の紹介で霊能者に相談に行き、最終的には身体を差し出すことを求められ、悩み苦しんでいました。
残念ながら、このような酷い話は実際にあります。
霊能力や超能力と人格や覚醒は別
ですから、私はハッキリといいます。
宗教家や霊能者、ヒーラーが、とても能力を持ったサイキックだからといて、必ずしもその人の人格が整っているとは限りません。
ましてやそのような人たちが、覚醒に至ることが出来るかと言えば、それは難しいと言わざるを得ないのでしょう。
その人の霊能力や超能力とされるスピリチュアルな能力と、人格や覚醒するということは全くの別問題なのです。
そこをシッカリと意識しておかないと、それらの人が言うことがすべて正しいことのように誤解してしまい、その結果、彼らの言いなりになってしまいます。
能力とはその人の特技のようなもの
例えば、霊能力や超能力などのスピリチュアルな能力については、こんな風に考えても良いかもしれません。
足が速いとか、勉強が得意だ、歌が上手だ、想像力が豊かだ、芸術のセンスがあるなど、その人の特技の一つと同じようなものです。
ですから、それらの能力を持っているからといって、その人の人格が整っているかといえば、そんなことはありません。
それに、サイキックな能力を磨いたからと言って、必ずしも覚醒するとは限らないのです。
スピリチュアルな能力は、一定の訓練をすることで、誰もが開発していける能力でしかありません。
サイキック能力や霊能力なども、決して特別なものではないのです。
チャクラから見た人としての成長と人格
なぜ私が、スピリチュアルな能力を追い求めても、必ずしも覚醒には至れないというのか。それには、エネルギーレベルでの明確な理由があります。
それを理解すれば、覚醒したり悟った人は、なぜ人格が備わっていくのかも納得がいくことでしょう。
私たちの考える人格者の定義
ではまず、私たちの考える人格者について少し整理しましょう。それは肉体、感情、思考、愛、言動、信念に関わることです。
私たちが人格が整っているというのは、肉体や生活が健康的で、性的な衝動や感情に翻弄されず、金銭的な欲や疑念に捕らわれず、愛にあふれている人のことです。
そしてさらには、言葉と行いが揃い、柔軟な考え方ができる、器の大きな人のことでしょう。
いかがですか?あなたの認識とズレてはいませんか?
人格者とはすべてのチャクラが整っている
確かにここまでパーフェクトな人格者が居れば、それは仏陀のように覚醒して悟っている人かもしれません。
ちなみに、先ほど私が申し上げた人格者の定義は、私たちの第1チャクラ~第6チャクラまでの全てが整うことによって得られる、人の心が成長した姿を語りました。
- 第1チャクラ=肉体や生活が健康的
- 第2チャクラ=性的な衝動や感情に翻弄されない
- 第3チャクラ=金銭的な欲や疑念に捕らわれない
- 第4チャクラ=愛にあふれている
- 第5チャクラ=言葉と行いが揃い
- 第6チャクラ=柔軟な考え方ができる
私たちが望んでいる人格者とは、すべてのチャクラが整って、悟っているかのような人のことを言っているのです。
では、それに対してスピリチュアルな能力とは、主にどのチャクラを活用しているものでしょうか?
サイキックな能力は上部のチャクラが司る
それは、第5チャクラの感覚、第6チャクラの霊視、第7チャクラの直感です。
それらの感性を磨けば、こちらの「サイキックの意味と超能力や霊能力を開発するスピリチュアルな方法」でも紹介するような、サイキックな能力を利用できるようになります。
でもだとしたら、第1チャクラ~第4チャクラまでの、肉体、感情や性、思考、愛は、さほど関係ないですよね。
極論を言ってしまえば、生活が乱れ、欲情に捕らわれ、考え方が否定的で、愛がなくても、スピリチュアルな能力を持った人はいます。
以前にも、そんな宗教指導者が毒薬のサリンを使って事件を起こし、社会問題になったことがありましたね。
肉体関係を求める霊能者がいるのは、まさに第2チャクラの情欲に翻弄されているからです。
覚醒や悟りはすべてのチャクラを整えること
ですが、これが覚醒しているとか、悟っているとなると、まったく話が違います。
私たちが覚醒するためには、第1チャクラ~第7チャクラまで、すべてのチャクラがある程度整っていないと覚醒できません。
ましてや仏陀のように悟りを得て、解脱することなど到底難しいでしょう。
特に悟りを得るためには、すべての執着を捨て去り、生きながらに仏のようになる必要があるのです。
逆をいえば、覚醒している人や悟っている人は、必ず人格が整っており、欲情などに振り回されることありません。
サイキックな能力を持った普通の人
ですから、スピリチュアルな能力の開発のみに眼を奪われ、それが特別なものだと思っていると、下位のチャクラを整えることが疎かになり。
その結果、サイキックな能力は発揮できても、生活はボロボロ、欲情に駆られ、言葉と行いがそぐわない、愛のない人となってしまうのです。
それでは、いつまでたっても覚醒できないし、悟りを得ることもありません。
彼らは単に、霊やエネルギーを見ることが得意な、普通の人(時には犯罪者)に他ならないのです。
覚醒とはどのような状態か?
話が少し先走ってしまいましたが、ここで改めてスピリチュアルな視点から見たときの、「覚醒」と「悟り」とはどのような状態か、その点をお話ししておきましょう。
まずは「覚醒」とはどのような意識状態なのかです。
これからお伝えするのは、あくまで私の自己認識によるものですから、参考程度に受け止めて置いてください。
何かの本を見てとか、どこかのサイトを見てというものではなく、私自身で感覚的に知覚して得た内容です。
スピリチュアルなレベルの覚醒とは
簡単に言うなら「覚醒」とは、私たちが1人の人間でありながら、全体(宇宙、世界)の一部であると、認識できている意識状態です。
例えば、こんな風にいえば解りやすいでしょう。道端に咲く一凛の花は、大きく別ければ「花、茎、葉、根」によって、その生命を維持しています。
花は花としての成すべきことを成し、茎には茎の役割があり、葉には葉としての使命があります。根も絶え間なく仕事をし続けないと、その植物は存在できません。
1つの植物としての自分を知りながらも、自分が存在する意味を理解し、その役割をこなしている状態です。それが私たちの意識が覚醒して生きている状態です。
覚醒することで得られる「覚知」とは
その覚醒した状態では、根でありながらも細胞レベルでは、その花のDNAを含んでいます。
ですから、人が覚醒すると「覚知」とされる直感的な理解力が備わります。
根でありながらも、花の役割を知り、葉の存在を感じ、茎が伸びる意味を理解している。そんな感覚的知覚が得られるのです。
でもだからと言って、突然スピリチュアルな能力が開いて、オーラや霊が見えるわけではありません。それは先ほども申し上げたように、その人それぞれの能力なのです。
覚知は、どちらかと言えばスピリチュアルな能力というよりも、サイキックな超感覚的知覚だといえるでしょう。
詳しくはこちらの「直感を超えて覚知へ」で、それがどのようなものか、実例を挙げて解説していますよ。
人が覚醒に至るための条件
私たちが「覚醒」に至るための条件は意外とシンプルです。
ある程度の期間を雑念がない状態で、今この瞬間に集中して存在できていること、命としての本来あるべき姿に戻ることです。
それは人間以外の動植物のように、ひとつの命そのものとして意識を肉体に留め、執着や雑念にとらわれていない状態です。
エネルギー的には、第1~第7までのチャクラとオーラがある程度整い、グラウンディングができていること。
それが覚醒の条件であり、スピリチュアルな能力の高さは全く関係ないのです。
霊やエネルギーが見えなくても、条件を満たせば人は覚醒に至ります。
覚醒すると、人は自分が生きるべき人生を歩んでいるという、確信が持てるようになるのです。
悟りとはどのような状態か?
では「悟り」とはどのような状態なのでしょうか?
ここでも私の認識している範囲内ですが、スピリチュアルな能力との関係性も含めて、解説していきましょう。
スピリチュアルなレベルの悟りとは
実は「悟り」には、エネルギー的な視点から見ても、いくつかの段階があります。
人は小さな悟りを幾度となく繰り返すことで、自分が霊的な存在であることを知り、心が成長していくのです。
それを心理療法としての言葉で表現するなら、気付きが起こり自己理解が深まっていくとも言えるでしょう。
そしてこれは、スピリチュアルな能力を開発する過程でも起きます。
生死感が一変する悟りの段階
例えば、人は何度かの体外離脱体験や、前世療法体験を通して、自分が霊的な存在で肉体を失っても存在し続けることを悟ります。
するとその人の人生観は大きく変わり始め、この人生が一冊の本でなく、何百回と転生して繰り返されてきた一章であることに気付くのです。
それにより、物質的な価値観が自然と変わり、無意識レベルで生死感も大きく変わっていきます。
それは私たちの悟りとされる変化の中でも、スピリチュアルな能力を開発していった結果、体験できるものだといえるでしょう。
悟りから覚醒へそして覚知へ
そしてあるレベルまで悟りが深まると、人は意識が覚醒し先ほどお話しした、全体の一部として目覚めていきます。
もしあなたが、スピリチュアルな体験を通して、生死感の変化が起きなかったとしても、このレベルに達すると自然と意識が切り替わります。
転生や生まれ変わりなどの理論的な認識がなくとも、命そのものの存在として、生きれるようになっていくのです。
覚醒と同様に、悟ったからといってスピリチュアルな能力が、突然目覚める訳ではありません。ですが人生においては、覚知とされる深い確信が得られるのです。
悟りから即身成仏へ
覚醒を通して、究極の悟りともいえる「仏覚の悟り」の境地へと達すると、人は仏教で語られるところの「即身成仏」へと至ります。
これは生きながらにして、仏となって存在している状態であり、その状態ではスピリチュアルな視点で見て、すでに人間ではありません。
生きながらに森羅万象の一部として存在している状態であり、この段階に至るとすでに輪廻転生からの解脱が達成されて、もう生まれ変わる必要がなくなります。
この悟りの段階になると、その人の一挙手一投足の全てが、仏(神、ワンエス、真理)としてのあり方となるのです。
仏陀は、まさにこの領域の悟りを得ましたが、現代社会においても、同様の悟りを得て人生を卒業していく人がいます。
と、私は感じています。(笑)
人が覚醒へ至るための道筋
ではいよいよ、本題に入りましょう。それはどうすれば、スピリチュアルな能力を開発しつつ、覚醒することが出来るかです。
まずはこれまでの内容を含め、大きな道筋を示していきましょう。
一足飛びに進もうとすれば危うい
先ほどまでの説明でもお解りのように、スピリチュアルな能力の開発にだけ熱意を注いでいると、思わぬところで足を掬われかねません。
その状態のままでは、結果的に覚醒には至れませんし、もし特殊なワークで強制的に覚醒するようなことがあったとしても、人格的に大きな課題を残すこととなります。
その結果、気が付けば先ほどの宗教家や霊能者と、同じ道をたどることに成り兼ねません。
大切なことは、スピリチュアルな能力の開発に取り組みつつも、現実に根差して自分の心理的な問題を癒し、精神的な成長を遂げていくことです。
覚醒に至るための正攻法
それは日常生活を整えることで、肉体的な健康を保ちつつ、感情や性的な執着を手放し、雑念を掃って、愛情深い存在となることです。
簡単にいえば、自らが現実社会で人格者であれるように、自分を磨いていくことです。それがまさに、下位の第1チャクラ~第6チャクラまでを癒し整えていくことに繋がります。
その取り組みの中で、あなたは自分の心や自分の感情と向き合い、雑念を取り払って、自己理解を深めていくこととなるでしょう。
それが、小さな悟りとされる心の成長を繰り返しながら、いずれ覚醒へと至る道筋となるのです。
雑念を取り払う方法については、こちらの「瞑想や日常で雑念が湧く心理的な意味とスピリチュアルに消す方法」でも詳しく解説しています。
スピリチュアルな能力を開発して覚醒する方法
では、どうすればスピリチュアルな能力を磨きながらも、安全に覚醒することができるか、具体的な方法を見ていきましょう。
これは驚くほど普通の方法ではありますが、もうここまでの解説をご覧いただいるので、これが正攻法だということはお判りでしょう。
瞑想により下位のチャクラを浄化する
結論から言ってしまうと、瞑想が一番の近道です。
瞑想とはまさに、下位のチャクラに溜まっている感情や執着、雑念を浄化するためのワークだといえます。
最近よく言われている、マインドフルネスとされる意識状態が、先ほども覚醒の条件で申し上げた、今の肉体に意識をとどめている状態です。
マインドフルネスについては、詳しくはこちらの「心と体のバランスを整える!初心者でも2分で出来るマインドフルネス瞑想」をご覧ください。
この瞑想が、あなたのスピリチュアルな能力を開発するためにも役立つのです。
スピリチュアルなスキルを学ぶ
瞑想を、日々の自己浄化の取り組みとして実践しつつ、自分を癒すためのワークを行っていきます。
例えばそれは、前世療法や催眠療法などの、スピリチュアルなワークを受けても良いでしょうし、私が開催しているセミナーのように、自分を積極的に癒したり、内観する方法を学んでも良いでしょう。
もしあなたがスピリチュアルな能力を開発したいと望み、ヒーリングやチャネリングなどに興味があるなら、それらを学ぶのも一手です。
ただそのスキルを学ぶのであれば、それはあくまで現実での生活を主体として、地に足が着いた状態であるように心がけてください。
余りにも、スピリチュアルな能力を磨くことばかりに執われると、グラウンディングがままならなくなり、結局のことろエネルギー状態が覚醒から遠のいてしまいます。
スピリチュアルなワークに取り組んでも、現実が整わないなら、グラウンディングが弱いということです。
余りにもストレスが多い時の対処法
あまりにも現状ストレスが溜まっていると感じるなら、フラワーレメディなどで自己浄化を加速しても良いでしょう。
日常生活でのストレスが多いと、瞑想をしていてもすぐに眠くなってきて、気が付いたら意識が飛んでいることも多々あります。
そんな時にはリバイバルレメディと、スクレランサスを使えば、少なからず地に足が着いて、エネルギー的にも整いやすくなります。
フラワーレメディは、それ自体がスピリチュアルな製品ですから、自らの能力を高める意味でも役立ちますし、手軽に利用できて安全です。
2種類のフラワーレメディをブレンドするなら、500mlのペットボトルに水やお茶などの飲み物を入れて3滴ずつ、合計6滴入れましょう。マイアースでは、希望の方にフラワーレメディの利用法を配布しています。ご注文の際に、カートボタン上の「利用法&適応表 あり」を選択してご注文下さい。なお、フラワーレメディの詳しい利用法は、こちらの「【初心者向け】フラワーレメディの効果的な使い方<バッチシリーズ>」をご覧ください。
命としての自然な姿に戻ること
スピリチュアルなレベルでの覚醒とは、決して私たちのゴールではなく、成長過程に過ぎません。
覚醒すること=この地球での転生から解脱することではないのです。
解脱はあくまで、悟りを開いた結果いきつく結末であり、覚醒はその過程で通過する成長段階です。
そしてスピリチュアルな能力を開花することは、覚醒や悟りとはまた別の取り組みなのです。
人格的に落ちるサイキックな人たち
私はなぜヒーラーや霊能者が、たとえ有能なサイキックであったとしても、時に人格的に落ちてしまうのか、それがとても良く解ります。
解るからこそ、私自身も同じ轍を踏まないように注意しているつもりです。
逆にその兆しが見えれば、自分の問題として向き合い、最優先で整えていくように意識しています。
それはスピリチュアルな能力を開発することが、必ずしもすべての欲情や雑念を消し去ることに繋がらないと、理解しているからです。
人は誰しも、自分の弱さや危うさを知ればこそ、そんな落とし穴を回避できるものなのでしょう。
人は命として自然な姿を目指す
ですからもしあなたが覚醒したとしても、その生物的な欲求と感情、人間的な雑念や思考の問題は、完全には消し去ることができません。
それはあること自体が生命としての自然な姿なのですから、あとはどうそれらに向き合い、取り除いていくのか、それを自らコントロールできるようになるのかです。
例えば、もしあなたが仏陀のように完全な悟りを開き、解脱することが出来れば、確かにそんな問題には惑わされなくなるでしょう。
先ほども申し上げたように、その段階に至ってしまえば、すでに人ではなく生きながらに仏となっている状態ですから、そんな問題からも解放されているのです。
あなたの覚醒が世界を整える
ですが私たちがそこに至るためには、まだまだ自らを知り癒していく作業が必要です。
スピリチュアルな能力を開発して覚醒する方法。それは特別なワークや、特別な体験を通じて至る道ではありません。
あくまで瞑想のように、自分の心を研ぎ澄まし、自分に向き合うことで至るものです。スピリチュアルな能力とは、その過程で上部のチャクラが癒されるとともに、自然と開かれていきます。
そんな地に足が着いた取り組みができていれば、きっとあなたも道を誤ることはないでしょう。そして気が付けば、自分の成長とともに、あなたの周囲の現実も整っていくでしょう。
そう真に覚醒し悟りを得られたなら、あなたの周囲の現実が整い満たされることは、至極当然のことなのです。
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地に足をつける意味とは?スピリチュアルな地に足をつけて生きる方法
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