井上直哉
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こんにちは。
心理とスピリチュアルの専門家 井上直哉(@my_earth_naoya)です。
今日は、ちょっとスピリチュアルで、切ないお話しです。
もし可能であれば、少し落ち着いた気持ちの時に、読んでいただいた方が良いかもしれません。
電車の中や人前で読むときは、ちょっとご注意くださいね。
さあそれでは、今日のブログはこちらです。
全ては一通の訃報から始まる
先日、一通の訃報が私のもとに届きました。
それは私の実家からの報せで、幼馴染の従妹が、自らこの世を去った報せでした。
彼女は幼いころの私の妹のような存在で、家の近くに住んでいたこともあり、小学4年生ぐらいまでは、よく一緒に遊んでいました。
ですがそれからは、お互いに引っ越した経緯もあり、ほとんど会う機会はありませんでした。
そして大人になってからは、風の噂にどうしているか聞く程度。私の中ではうっすらと、子供の頃の記憶として残っているぐらいでした。
実家からの一本の電話
数日前の晩、実家の母から一本の電話がありました。
私はその話を聞いて耳を疑いました。
それは彼女が病院に搬送されて、もう意識が戻らないだろうという知らせです。
過ぎ去った時間を埋める会話
私が静岡の実家に帰省し、家族と決まって話すことと言えば、従妹の誰が結婚したとか、誰がどうしているとか。
近所のあの子は就職して東京に居るよとか。幼馴染のあの子は子供も生まれて、面倒見ながら仕事してるよ。そんな言葉が飛び交うものです。
それはある意味、私が静岡に居なかった時間を、補うかのような、楽しくも何気ない会話です。
その会話の中での彼女は、とてもシッカリ者で、会社に勤めながら、誰かと付き合っているみたいけど、いつまで経っても結婚しないね。と言う話でした。
ですから、その知らせを聞いたときには、正直、まさか・・・。と声が出ませんでした。
目を閉じて向き合う彼女の姿
このブログでも紹介しているように、私はこの世を去った存在がどうしているのか、視ることが出来ます。
以前にも『死後の世界への旅立ち<自らこの世を去た人が葬儀で悟ること>』で、同じような問題を確認したことが在ります。
ですから、もちろん知っている人ならなおさら容易です。
私はそっと目を閉じ、私自身の過去の記憶、そして現在の彼女を知っている母親のオーラを通して、彼女が今どうしているのか確認してみました。
するとそこには、何が起きているのか理解できず、うつむいて、ただ呆然(ぼうぜん)と立ち尽くしている、彼女の姿があったのです。
自ら衝動的に命を絶ってしまった後の姿
私の母の話では、彼女はここ数か月前から精神的に体調を崩し、一人で家に閉じこもっていたそうです。そしてある切っ掛けで、衝動的にこの世を去ってしまったのです。
私が視た彼女の霊的存在は、混乱していると言うより、何も考えられず、ただ宙を眺めているかのような姿でした。
そしてそれは、彼女自身が意識的に死を選択したというより、反射的に行動を起こしたことを物語っていました。
生を終えても心の闇から抜けられずに、何が起きたのか解らずにいたのです。
人生を終えて自分の死に向き合う
それから2日後、彼女がそのまま息を引き取ったことを聞き、お通夜と葬儀の日取りが決まりました。
そして通夜が終わったころ、私は彼女がどうしているか、今一度確認してみた。
死後も心の闇から抜け出せない彼女
すると彼女自身は、少しずつ自らの置かれている状況を把握し始めてはいるものの、心はいまだうつむいて、漠然と起きている出来事を眺めています。
それはまるで他人の通夜を、ただ眺めているかのようです。彼女はまだ心の闇の中から抜け出せずにいたのです。
私は思いました。
彼女に訪れた突然の変化
そして翌日、葬儀を終えたころ、私は今一度彼女の姿を確認してみたのです。
するとそこには、光に包まれ、喜びと幸福感で満たされた見違えるような、彼女の姿があったのです。
彼女は今世をやり遂げたのです。そして感謝と幸福で満たされていたのです。
彼女が心の闇から抜けられた理由とは
私はとても不思議に思いました。
あれほど心の闇に包まれて、抜け出せずにいた彼女が、どうしてこんなにも幸せで、喜びに包まれているのか。。。
確かにお坊さんのお経は、彼女が心を整理するために役立ってくれたことでしょう。でもだからと言って、ここまで彼女が癒され幸福に包まれているのはなぜだろう。。。
衝動的とはいえ自ら命を絶った彼女が、どうしてこんなにも、達成感に包まれているのだろう。
私はそのことが気になり、その晩、葬儀に参列した実家の母に電話してみました。
彼女の心を癒した出来事
彼女の葬儀がどうだったのかを聞くためです。すると。。。
あ、あの子の葬儀、とても良かったよ。
会社の人も大勢参列してくれてね。同僚の女の子たちはみんな泣いてたよ。
それと付き合っていたっていう彼氏も来てね、棺に抱き付いて大泣きしてた。
どうやらあの子が、結婚をしなかったらしいよ。何度彼氏が言っても、OKしてくれなかったんだって。
馬鹿だねあの子も。。。本当に幸せもんだよ。
そう、彼女は自分の葬儀に参列した人々の悲しむ姿を見てこう思ったのです。
(私には生きてる価値があった。
生きていて、本当に良かった。
こんなに多くの人に愛されて、本当に幸せ。)
そしてその気持ちが、彼女の心を癒し、この人生をやり遂げたと、実感させたのです。
それから彼女は、感謝と喜びに包まれて、この世界を去って行きました。
自ら命を絶った人たちの人生の価値
私がこのブログを書いたのは、決して彼女の為ではありません。そしてそのご家族の為でもありません。
それは私自身とても驚いたからです。
自ら命を絶った彼女が、あれほど幸福感に包まれて、この世に未練を残さず、感謝と共に天に帰って行ったことにです。
自ら命を絶ちながも人生をやり遂げた彼女
私はいつでも中立でありたいと思いながら、どこかで自ら命を絶つことへの、否定感や罪悪感を持っていました。
それは人として、人生を途中で投げ出すような、そんな思いを抱いていたのかもしれません。
でもその反面、衝動的に旅立ってしまう人が、自らの意志と言うよりも、反射的な行動であることも知っていました。だからこそその選択も、その人の人生の一部であり、生きる道筋であると理解したいと思っていました。
でも彼女は、そんな私の葛藤とは裏腹に、この人生をやり遂げ、笑顔でこの世を去って行きました。
彼女が教えてくれた人生の価値
私は彼女に、とても大切なことを1つ教えてもらいました。
それは、人生はどんな最後を迎えたかではなく、どう生きてきたのか、それが全てだと言うことをです。
ありがとう。。。そしてさようなら。。。また会う日まで。。。
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確かに葬儀でお坊さんのお経を聞けば、少なからず気持ちが整理されて、目が覚めるかのように、心の闇から抜け出すかもしれない。
でも本当にこの状態で、抜け出すことができるのだろうか。)