井上直哉
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こんにちは。
心理とスピリチュアルの専門家 井上直哉(@my_earth_naoya)です。
あなたは心が焼けるような、悔しい気持ちを味わったことがありますか?
悔しさは、誰もが幾度となく感じて耐えてきた、怒りや悲しみの感情だといえるでしょう。
でももしあなたが、今まさにその悔しい気持ちを感じており、それが日々の生活で何度となく繰り返されるようなら。
もしかしたらあなたは過去に、悔しい気持ちに対処するため、スピリチュアルな意味での「悔しさの代償」を、払ってしまったのかもしれません。
今回の記事では、あなたが過去に無意識に支払ってしまった悔しさの代償についてお話しし、そんな悔しい気持ちを清算する方法を書いていきます。
それはもう二度と、心焼かれる悔しさを感じたいための、スピリチュアルな取り組みだといえるでしょう。
<目 次>
スピリチュアルな「悔しさの代償」とは
「悔しさの代償」について話す上で、まずは私自身のこんな体験からお話ししましょう。
それは私が「悔しい気持ち」と聞いて、最初に思い出す子供の頃の切ない記憶の断片です。
小学生の頃の兄弟喧嘩
そう、それはもういつ頃だったかうる覚えの記憶ですが、きっと小学6年生ぐらいだと思います。その時の私は、夕暮れ時の自宅の居間の窓際で、必死になって蹲っていました。
身体が打ち震えるような悔しい気持ちを感じ、右手をギュッと握りしめて、ただ窓辺に蹲っていたのです。
煮えたぎるような激しい憤りと悲しみを、歯を食いしばりながら、グッと噛みしめて悔しさに耐えていました。
それは1年上の兄と喧嘩して、ただされるがままに、耐えていた幼い頃の自分の姿です。
そう喧嘩はいつも些細な事から始まりました。
私の支払った「悔しさの代償」
その時の状況を、今ではさほど詳しくは憶えていませんが、きっと兄の物に手を出して、失くしたか壊してしまったのだと思います。
まあもちろん年子の兄弟で、思春期でもありますから、喧嘩をすることはさほど珍しくなく、幾度となくそんなことを繰り返していました。
ただ幸いにも、兄は怒鳴ったり物を投げることは在っても、弟に怪我をさせるような暴力を振ることは、決してありませんでした。
私はいつも、投げつけられるものにグッと耐えて、その兄の怒りが収まるのを待っていたのです。
それが私の支払った「悔しさの代償」です。
「悔しさの代償」とは我慢や諦め
「悔しさの代償」とは、あなたが「とても悔しかった出来事は何ですか?」と問われて、一番最初に思い出す記憶の断片だといえるでしょう。
それはあなたが過去に悔しい気持ちを味わい、その気持ちに対処するために支払った、「我慢」や「諦め」の気持ちです。
その悔しい気持ちをやり過ごすために、その代わりとして「我慢」や「諦め」を支払ってしまうと、私たちは悔しいことがある度に、そんな代償を支払うことを厭わなくなります。
すると気が付けば、日々の生活の中で、幾度となく悔しい気持ちに駆られる。そんな人生を送ることとなるのです。
溜まったツケの支払いは求められる
それは、これまでに感じてきた悔しさを、代償(我慢や諦め)を支払うことでやり過ごしてきたからです。
スピリチュアルにいえば、その結果「溜まったツケ」を、支払うようにと何度となく、現実から求められているといえるでしょう。
そしてそのために、同じような悔しい気持ちを味わう現実を、幾度となく突きつけられるのです。
あなたはそんな体験を、もう何度も繰り返してきたはずです。そして心からそんな現実を変えたいと、今この記事を読まれているのではありませんか。
悔しい気持ちを支払った出来事
私がそんな、悔しさの代償として支払った我慢に気付き、幼い頃の悔しさを清算したのは、もう30歳を過ぎてからでした。
あるカウンセラーの主催のワークショップで出会った、吉福さんの指導で、改めてそんな自分の中に残っていた、悔しい気持ちに気が付いたのです。
吉福さんとの出会い
その体験は、私が想像もしなかった、感情を爆発させるような激しいワークショップでした。
吉福伸逸さんは、すでに亡くなられているトランスパーソナル心理学の専門家であり、とても経験を積まれたセラピストです。
私が参加した彼のワークショップは、彼が他界される1年ほど前に行われたもので、私にとっても最初で最後の体験となりました。
そしてそれは、私が持っていたトラウマともいえる幼い頃の悔しさを、もう一度思い出し清算する経験となったのです。
激しい感情に触れるワークショップ
彼が行ったワークショップでは、参加者が2手に分かれて、それぞれが怒りの感情をぶつけ合う、そんな感情に触れるワークを行いました。
怒りをぶつける方、そしてぶつけられる受け手も、それにより自分の中に押し留められた、感情が動き出します。
そしてそれぞれが、自分の心の中に仕舞い込んでいた感情を再認識し、感情の解放を行うのです。
そんな初めての体験ともいえるワークショップで、私はあの過去の悔しい気持ちを思い出し、その場に蹲ってしまったのです。
怒りの感情を呼び起こす
私にとって、怒りの感情を呼び起こすことは、とても難しい作業の一つでした。
これはきっと私のように、悔しさの代償を過去に支払った人なら同じだと思います。他人に怒りを出すことにとても大きな抵抗があるのです。
私は自分の気持ちを奮い立たせるかのように、ワークの相手に声を上げ、怒鳴るかのように怒りを表現していきました。
すると思いもよらなかったことが起こりました。突如として悔しい気持ちが、心の中から溢れだしてきたのです。
蘇る幼い頃の悔しい気持ち
それは紛れもなく、あの幼い頃に兄の怒りに贖えずに、ただ悔しい気持ちに苛まれながらも、グッと我慢している気持ちでした。
その時の情景が、脳裏に次々と浮かんでいっては、激しい怒りと悲しみとなって、私の口から溢れだしてきます。
そしてそのまま、なすすべもなく泣き崩れて、その場所に蹲ってしまったのです。
30過ぎの大人が、一人蹲って泣き崩れている。きっとそんな姿は、こんなワークをしない限り、見る機会はないでしょう。
悔しさを清算する体験
それから私は、ほぼ半日そのワークを続けて、人生でそれまでにないほど大泣きし続けました。
そしてそのワークが終わった時には、すっかり声も枯れ果て、まともに話も出来なくなっていたのです。
でもその反面、どこかスッキリしたようなそんな開放感を味わっていました。そう、私は過去の悔しさを、やっと清算することが出来たのです。
そしてその時にようやく気が付きました。自分がスピリチュアルな意味での「悔しさの代償」を支払っていたことを。
「悔しさの代償」を支払うと起きる現実
では私たちが悔しい気持ちになり、そんな悔しさをやり過ごすために、我慢や諦めなどの代償を支払うと、いったい何が起きてくるのか、もう少しスピリチュアルな視点からお話しましょう。
感情を抑え込むための対処法
「悔しさの代償」とは、先ほど説明した通り、私たちが悔しい気持ちになったときに、無意識におこなう感情への対処法です。
それは大きく「我慢する」ことと「諦める」ことの2つがあり、ほとんどの人が、このどちらかの代償を支払うことで感情を抑え込みます。
それは「代償」というように、決して悔しさを清算するものではなく、悔しい気持ちを表現しない代わりに支払う、代替の対処行動です。
そう、あなたもお解りのように、私たちは我慢することか諦めることで、その場を耐えるか受け流し、やり過ごそうとしているのです。
スピリチュアルなエネルギーの歪み
でもそんな「我慢」や「諦め」を支払って、その悔しさをやり過ごしたとしても、決してその悔しい気持ちが清算されるわけではありません。
その悔しさは、あなたの心の奥に溜めこまれていくだけで、決して解消するわけではないのです。
すると、スピリチュアルなレベルでのエネルギー的な歪みが、あなたの心の中に生まれます。
その結果、あなたの潜在意識は、そのエネルギーの歪みを解消しようと自然と動きだし、そのための現実を引き寄せはじめるのです。
悔しい気持ちを感じることが多い理由
それが、あなたが日ごろ感じている「なぜこれほど、私ばかり悔しい思いをするのだろう?」という現実です。
もうあなたはそれを嫌と言うほど味わってきたはずです。そしてそのたびに、我慢するか諦めるという代償を払い続けてきたことでしょう。
でもそのやり方では、あなたの中の悔しい気持ちは溜め込まれるばかりで、決して清算されることはありません。
そして次々と、あなたが悔しいと感じる現実を引き寄せ続けることとなるのです。
悔しさとは消化すべき感情
そう大切なことは、そんな悔しさを味わったときに、代償としての我慢や諦めで対処するのではなく、その悔しい気持ちを清算してあげることです。
それはストレートな方法を取るなら、私自身が体験してきたように、悔しい気持ちをあるがままに受け止め、表現して感じ尽くすことだといえるでしょう。
それはスピリチュアルな視点でも理にかなった、悔しい気持ちを解消する方法であり、悔しさのエネルギーの消化法だといえるものです。
そう悔しさとは、感じ尽くすことにより消化するもので、我慢したり諦めてやり過ごすものではないのです。
悔しい気持ちをスピリチュアルに解消する方法
ではそんな悔しい気持ちを清算し、幾度となく悔しさを感じるパターンから抜け出すためには、どのような取り組みをしていけば良いのでしょうか。
ここからは悔しい気持ちをスピリチュアルに解消する方法を紹介していきます。
心理の専門家のもとで解消する
先ほど私が紹介したように、意図的に怒りや悔しさの感情を呼び起こして、それを再体験して消化すれば、とても短期間で過去の感情を清算することが出来ます。
ただそれは、精神的な負担も大きいですし、カウンセリングや心理の勉強に携わって、感情への抵抗が少ない人であればこそ取り組めるワークです。
ですが、そこまで激しいものでなくとも、催眠療法などの心理療法を受けることで、その心の中に溜まった悔しさの大半を解消することができます。
まずは私のような心理の専門家のもとで、感情に向き合うような、スピリチュアルなワークを受けて取り組むのが1つです。
自己承認で取り組む
そんなに短期間ではないのせよ、悔しい気持ちを感じるたびに、自分自身でその気持ちを消化していく方法があります。
それは以前にこちらの「やる気が出ない心をスピリチュアルに回復させる方法<自分を認める自己承認>」でも紹介した、自己承認のワークです。
この方法では、悔しい気持ちを感じたときに、我慢したり諦めでその場をやり過ごすのではなく、自分の悔しさを客観視することで感情を消化します。
ですからこの場合の声掛けは、「悔しいんだよね」を何度も繰り返すことです。
これは取り組み方に、慣れと時間が必要なものの、比較的簡単な悔しい気持ちの解消法といえるでしょう。
フラワーレメディで解消する方法
そして最後はフラワーレメディを利用して解消する方法です。
ただこれはあくまで、自己承認で解消していくためのサポートであり、過去に溜めてしまった悔しい気持ちを、減らしていくものだと思ってください。
過去の悔しい気持ちが、心の中に多く溜まっていればいるほど、その悔しさを感じたときに、強い感情に翻弄されて、なかなか客観視することは出来ないものです。
ですから、溜まっている悔しさのエネルギーを、スピリチュアルに浄化するためのものだと考えていただければ良いでしょう。
種類はチコリーとリバイバルレメディの2種類をブレンドすることで、そんな悔しさを和らげることが出来ます。
フラワーレメディを利用するなら、500mlのペットボトルに水やお茶などの飲み物を入れて6滴入れましょう。2種類をブレンドするなら3滴×2種類でOKです。マイアースでは、希望の方にフラワーレメディの利用法を配布しています。ご注文の際に、カートボタン上の「利用法&適応表 あり」を選択してご注文下さい。なお、フラワーレメディの詳しい利用法は、こちらの「【初心者向け】フラワーレメディの効果的な使い方<バッチシリーズ>」をご覧ください。
感情があなたの心に彩を与える
いかがでしたか?
今回の記事では、なぜ悔しい気持ちを味わう現実が繰り返されるのかについて、スピリチュアルな視点から、「悔しさの代償」という考え方をもとに解説してきました。
「悔しさの代償」という表現について
ちなみに、この悔しい気持ちをやり過ごすために、「我慢」や「諦め」を代償として支払っているという考え方は、私なりの表現です。
ですから、決して他の心理やスピリチュアルの専門家が、「悔しさの代償」という言葉を使っているわけではありません。
悔しさを心の中に溜めることで、そんな思いをする現実が繰り返されてしまう仕組みを、少しでもわかり易く解説できればと使ってみました。
きっと、この解説がシックリと来る方も居れば、いまいち理解できないという方も居ることでしょう。
素直な思いを否定しないこと
ただ解っていただきたいことは、こんなことです。
私たちは大人として理性的に生きるために、本来なら生物として自然な感情の多くを、蔑ろにしがちです。
そして結果的に、そんな我慢や諦めで感情をやり過ごすことで、なおさらその感情に捕らわれて、同じ苦い現実を幾度も味わうことになっています。
ですから、あなたが大人として理性的であろうとしても、決して自分の心が感じる素直な気持ちを、蔑ろにしないでください。
それはたとえ、否定的だと揶揄されるような、そんな気持ちであってもです。
感情が現実に彩を与える
私たちにとって感情とは、現実の生活に彩を与えるものです。
それは少しスピリチュアルにいえば、光りあるところに影ができ、影あるところに光が存在しているのと同じ。
私したちの心は、過去の悲しみや怒りを糧として、より大きな喜びや幸福を感じます。それらすべてが2つで1つ、表裏一体なのです。
だからこそ、そんな悔しい気持ちも、暖かく受け入れて消化してあげましょう。そうすればきっと、より多くの喜びや幸せを、あなたのもとに運んでくれることでしょう。
それは確かに綺麗ごとだと言われるかもしれません。でもそれが、紛れもない真実なのです。
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