井上直哉
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こんにちは。
心理とスピリチュアルの専門家 井上直哉(@my_earth_naoya)です。
今日の記事は笑い話程度に、話半分で聞いていてください。(*´▽`*;)ハハ
よく昔から、神様ごとで悪いことをすると、「罰が当たる」とか、「罰当たりな人だ」と言われたりしますよね。
でもそれって本当にあるのかな?とか、神様は罰なんか当てないんじゃないか?って、思ったことがあると思います。
そこで今回は、私自身の罰当たりな経験と。。。ゴメンナサイ…(ノД`)・゜・。
スピリチュアルな視点で見たときに、罰が当たるとは本当にあるのか、その点について詳しく話していきます。
私もこれを知った時には「なるほどそういうことか。Σ(゚Д゚)!ガッテン!ガッテン!」と妙に納得したのですが、そんな罰当たりな体験談をお話ししましょう。m(__)mホント、ゴメンナサイ
<目 次>
このお話を読む上での注意点
ではこの罰当たり問題について、具体的にお話をする前に、大切なことをお伝えしておきます。
今回は心理的な作用は場外
さっきすでに話半分で聞いてね。っといいましたが、さらに付け加えて言っておきます。
今回は心理的なことには触れません。あくまでスピリチュアルな視点で見た時のお話しなので、心理的な作用はあえて除外しています。
例えば「先に悪いことしたという罪の意識を持っているから、何か起きたときに罰が当たったと思うんだ。」というような、心理的な問題は加味しません。
その作用があるかないかに関わらず、今回は完全にスピリチュアル視点だけで、この「罰当たり問題」について、解ったことをお伝えします。
あくまで個人的な体験と見解
その上で、しつこいようですが、さらに言っておきます。
以前からこのブログの中でも何度かお話ししていますが、これはあくまで私のオーラ診断の能力をもとに、読み取ったスピリチュアルな世界のお話であり。
ここに書くことすべてが真実では在りません。これはあくまで参考資料程度の、私の個人的な体験を紹介してるだけなので、その点を注意してください。
決して安易に「罰当たりって怖い・・・(゚A゚;)ゴクリ」なんて鵜呑みしないで、「へ~またまた、そんなこと言っちゃって!(*´▽`*)ハハ」程度に、サラリと読み流してください。
それぐらい軽くてちょうどいいと思います。(*´▽`*;)
スピリチュアルには罰は当たる
でもなんで、今回そこまでしつこく念を押すかというと、この話があまりにもスピリチュアルなお話になるからです。
そして結論として「神様は罰は当てないけど、罰当たりは実際に在るよ。」というお話しになるからです。
もちろんそれにはスピリチュアルな理由があります。きっとこれをきけば、あなたも「なるほどそういうことか。Σ(゚Д゚)!ガッテン!ガッテン!」となるでしょう。
そんな罰当たり問題に終止符を打つべく、私自身の罰当たりな経験を。。。ホントゴメンナサイ…(ノД`)・゜・。
いえ、私自身の貴重な体験談を紹介していきましょう。SFぐらいの気持ちで聞いてください。m(__)m
井上さんの罰当たりな体験
ある年の夏も盛りの7月18日、晴れた清々しい昼下がりでした。
井上さんはいつものように、休日を過ごしながら、良く行く宮城県岩沼市にある「金蛇水神社」に来ていました。今日もいい天気で、お参り日和だな~って。(*´▽`*)ダネ
水神様を祭る金蛇水神社
この金蛇水神社は、水の神様である金蛇大神(水速女命)さまが祀られているお社で、本当に境内も隅々まで綺麗で、参拝客も多い霊験あらたかな、商売と金運の神様です。
巳のお姿をご神体としていることから、境内にはいたるところに白蛇の姿が浮き出た「蛇紋石」がおかれ、いかにも蛇神様ともいえる様子。
同じく水の女神である、弁財天さまもお祭りされており、商売だけではなく、財力と知恵、技芸の神様として多くの人がお慕いしています。
白い鳥居のすぐ奥には藤棚があり、5月の初夏の季節になると、それはもう見事な藤の花が咲きます。また、神社の目の前には大きな牡丹園もあり、女神様らしいとても華やかなお社です。
この素晴らしいご神域で、井上さんは思わず、思わず、思わず、罰当たりなことをしてしまいました。(ノД`)・゜・。デキゴコロダカラ!
■金蛇水神社の白い鳥居(2018/7/18)
藤棚で見つけた花の種
金蛇水神社に伺って境内を回りながらお参りをし終えて、藤棚のところに行って休んでいた時でした。(*´ω`*)フ-
いくつもの風鈴が風に揺れており、7月半ばでもうすぐ二十四節気の「大暑」になるかという、日差しが強い日でしたが、藤棚の下は涼しく、風鈴の音色が心の奥まで染みわたってきます。
なんとも居心地が良い場所で、ぼんやりとあたりを見渡していると、藤棚の隅の方に、そこから垂れ下がった、藤の花の種が見えたのです。(*‘ω‘ *)ン!?
多くの房はもう綺麗に刈り取られ、ほんの1,2個が忘れ去られたかのように、ぶら下がっていました。
■金蛇水神社の風鈴の動画(2018/7/18)
井上さんは藤の花が大好き
藤の花と言えば、井上さんの一番大好きな花です。
子供の頃から公園などにもあり、とても身近に感じている紫色の花で、香りも心地よく、花の季節になると、あちらこちらの藤の花の名所を見て回るほど。
この金蛇水神社に初めて訪れた理由も、藤の花を見に来たことが切っ掛けでした。
井上さんは思いました。「ああ、この小さな種を家の庭に植えて、金蛇水神社の藤の花を育てられたら、なんてありがたいことだろう。」(*´ω`*)イイネー
頭の中ではもう藤の花が満開になって、心地の良い香りでいっぱいです。(*´ω`*)イイネー
出来事心は誰にでもあるよね
ふと手を伸ばすと、丁度手が届く高さに、その房がぶら下がっています。
「この小さな種が、綺麗な藤の花になるんだね~。(*´▽`*)」なんて思うと、家でも藤の花を育てられたらいいな~っとやっぱり思うわけです。
でもさすがにご神域の物を勝手に持ち出しては、罰が当たるかもしれません。昔から礼を欠いた罰当たりなことをすれば、必ず報いがやってくるとも言います。
そう思って周りを見渡すと、あまり人はおらず、神社の巫女さんも忙しくお仕事をしています。無断でお断りなく頂いていくのは、やっぱり良くないよね。(;´・ω・)ウン
きっと神様は罰なんて当てないんだろうけど。。。でもな。。。やっぱりな。。。う~ん。。。う~ん。。。ブチッ!ガサガサ。(*”ω”*)・・・
出来心の行く末は如何に?罰は当たるのか?
思わず、思わず、思わず、思わず、出来心でやってしまいました。(ノД`)・゜・。
でもその結果、とんでもないことが!
罰が当たらないか気になって仕方ない
その頃には一緒に行った妻が、風鈴に満足して笑顔で戻ってきます。
妻:「そろそろ、帰ろうか?(*´▽`*)/ココチヨカッター♪」←何も知らない人。
井上:「う、うん!そ、そろそろ行こうか。。。(*”ω”*)/」←すでに普通じゃない人。
二人で神社の鳥居を出て、駐車場へと向かうのですが、やっぱりポケットの中にある物が気になってソワソワするんです。(*”ω”*)ソワソワ,ソワソワ
「いや、これくらいなら、罰なんか当たららないよね。きっと大丈夫だよね。神様きっと優しいから。(*´▽`*;)ダ、ダヨネ!」そんな風に思ってしまうんです。
悪いことはやっぱり駄目です
そして車に乗って、いざ帰ろうかとすると。なんかイヤ~な予感がするんです。誰か怒ってるな~って感じがヒシヒシと。(;゚Д゚)ナンカヤバーイ
そこで意識をその感覚に向けて、エネルギー的に見ると。(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
2匹の白蛇さんがとぐろを巻いて、お社の方から「コ~~ラ~~~~~!(o゚Д゚o)_i(o゚Д゚o)_i」ってこっちを見ているんです。(゚Д゚;)キャー!!!
すでに罰が当たってるよ!(ノД`)・゜・。ゴメンナサーイ!
井上さんは慌てて、ご神域に戻って、無断でいただいたものを、お返ししてきたとさ。m(__)mタイヘンシツレイ,イタシマシタ
スピリチュアルな意味での罰が当たるとは
やってしまったことは、仕方ないとして。(*´▽`*;)←ハヤクミズニナガシタイ
今回は、神様に悪いことをすると、やっぱり罰当たりになるという事実ついて、スピリチュアルな視点から解ったことを解説します。
基本的に神様は罰は当てない
これはやってみて良く解ったのですが、やはり基本的に神様が人に罰を当てることはありません。
神様の次元と私たち物質世界とは、あまりにも次元が異なるので、物質世界の問題には捕らわれも無ければ、気にもなさいません。
それにこれは私の個人的な認識ですが、神様の次元には罪や罰という考え方自体がありません。
それはあくまで人間的な価値観や考え方であり、基本的に人が神様に対して、悪さをすることも、穢すことも、汚すことも出来ないのです。
それでは誰が罰を当てるのか?
これも結論としてですが、神様に悪さをしたことで、人に罰を当てるのは、そのお社を管轄する「御使い」としての霊的存在です。今回ですと白蛇さんですね。
以前にもこちらの「不思議な夢の体験談【スピリチュアルな明晰夢の実例】」で書きましたが、神社とは神様がいらっしゃる社であり、その霊的な空間を管轄したり、神様へのお取次ぎをするのが、それら霊的な御使いの役割です。
例えば神社には、神主さんと巫女さんが居て、その神社を清浄に保ったり、お祓いをして神様へのお取次ぎをしてくださいます。
それは物質次元での神社の管理者として、いつでも神様がいらっしゃるようにと、整えて、お取次ぎをして運営をされているわけです。
それと同じように、霊的な次元で神様のご利益をいきわたらせたり、願い事を伝える役割をしているのが、それぞれの社に居る御使いさんたちです。
物質世界では神主さんや巫女さんが正す
本来なら、例えば境内に落書きしたりすれば、神主さんや巫女さんに怒られます。
それは物質レベルの出来事して、神主さんや巫女さんが罰を当てるとうこと。もう少し正確にいうと、「反省させる」とか、「行いを正させる」という方が良いでしょうか。
罪を改めさせて、改心させるのです。
でも今回の件は、藤の花の種を断りなく持ち出すという、神社の人に知られないようにした行いです。
基本的に人が罰が当たらないかと気に病むのは、そんな人が見ていないときに、神様に失礼な行いをしたときです。
ここでいう「巫女さん」とは、神社で働いている女性で、神職を補助して神明奉仕をされている方です。以前にこちらの「前世が「お姫様、魔女、巫女」という人の特徴をスピリチュアルに解説」で紹介した、チャネリングなどをお行う霊媒とは異なりますので、ご注意ください。
霊的世界では御使いが穢れを掃う
そこで出てくるのが、御使いとしての霊的存在たちです。彼らは神社を霊的なレベルで清浄に保つのが役目。
ですから、このように悪さした人が出てくると、神域である神社が穢されてしまったと敏感に察知します。
神域は、神様のいらっしゃる場所として、エネルギー的にも清らかに保つべきですが、人が悪さをすると、罪の意識で神社が穢されたこととなります。
そう、問題は「種を持ち出した」ことではなく、神域に申し訳ないという気持ちを残したこと、神域で良心に反した行いをしたことが、穢れとなってしまうのです。
御使いたる存在は、その穢れを掃うべく、急いで飛んできて罰を当て、改心を促すわけです。
罰を当てるとはカルマの法則と同じ
これは厳密にはカルマの法則と同じ。悪いことをしたけど罰が当たることで、そのカルマが清算されてお社の穢れが掃われる。
カルマの法則とは、私たちの良心レベル、厳密には魂レベルで機能する仕組みですから、悪いことをすればそれがシッカリと記録されます。
そしてその罰を受けることで、私たちの心は改まりカルマが清算されるわけです。
心から反省して改心し、それを言葉と態度に表せば、そんな穢れは綺麗に払われる。その仕組みが、罰当たりという言葉となって、残っているのでしょう。
「罰が当たる」ことはあるのか?まとめ
さて、いかがでしたか?
色々と罰当たりのスピリチュアルな意味について、私の体験談を踏まえてお話ししてきましたが、何となくはその仕組みがお判りいただけましたか?
昔から誰もが感じてきたこと
これはあくまで私の個人的な体験談ですから、最初に申し上げたようにこれが全て正しいわけではありません。あくまで一個人の意見として、聞いておいていただければよいと思うのです。
ですが、昔から「罰当たり」という言葉がるように、人は神仏に非礼な行いをすると、何かしらの罰を与えられると考えてきました。
それ自体が、どのような仕組みで起きるかは解らなくても、潜在的にはそんな罰を受けることを誰もが感じ取ってきたのです。
だからこそ、その言葉や考え方が消えることなく、伝えられて来たのでしょう。
罰が当たる本当の意味
でも、こんな風に考えると良いかもしれません。
あなたが神様の存在を信じ、神社にいらっしゃる神様が、私たちの願いを聞き届け、お働きくださると思うなら。
きっと同じように、罰当たりなことをすれば、諌められるような出来事が起こります。
それは決して、あなたを貶めるような否定的なものではなく、やさしく暖く子を見守る親のような、神様の一つの愛情なのではないでしょうか。
誤った道に進んでいることを、身をもって知らされて正される。それが私たちに与えられる、罰の本当の意味だと思うのです。
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