「罰が当たる」ことはあるのか?罰当たりの意味をスピリチュアルに解説

「罰が当たる」ことはあるのか?罰当たりの意味をスピリチュアルに解説
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井上直哉

心理とスピリチュアルの専門家
1989年大学に進学中に、独自にスピリチュアルの研究を行い体外離脱体験をもつ。医療機器メーカーに就職後、2001年に心理療法家として独立。3,000人以上のセラピー実績を持ち、年間20回以上のセミナーを全国で開催。2010年に株式会社ヒーリングアースを設立。現在は経営の傍ら個人セッション及びセミナーをこなしながら執筆活動に励む。ブログは年間300万人が訪れる。モットーは「現実が変わるスピリチュアル」です。
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こんにちは。
心理とスピリチュアルの専門家 井上直哉(@my_earth_naoya)です。

今日の記事は笑い話程度に、話半分で聞いていてください。(*´▽`*;)ハハ

よく昔から、神様ごとで悪いことをすると、ばちたる」とか、罰当ばちあたりな人だ」と言われたりしますよね。

でもそれって本当にあるのかな?とか、神様は罰なんか当てないんじゃないか?って、思ったことがあると思います。

そこで今回は、私自身の罰当たりな経験と。。。ゴメンナサイ…(ノД`)・゜・。

スピリチュアルな視点で見たときに、罰が当たるとは本当にあるのか、その点について詳しく話していきます。

私もこれを知った時には「なるほどそういうことか。Σ(゚Д゚)!ガッテン!ガッテン!」と妙に納得したのですが、そんな罰当たりな体験談をお話ししましょう。m(__)mホント、ゴメンナサイ

 

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このお話を読む上での注意点

このお話を読む上での注意点

ではこの罰当たり問題について、具体的にお話をする前に、大切なことをお伝えしておきます。

 

今回は心理的な作用は場外

さっきすでに話半分で聞いてね。っといいましたが、さらに付け加えて言っておきます。

今回は心理的なことには触れません。あくまでスピリチュアルな視点で見た時のお話しなので、心理的な作用はあえて除外しています。

例えば「先に悪いことしたという罪の意識を持っているから、何か起きたときに罰が当たったと思うんだ。」というような、心理的な問題は加味しません。

その作用があるかないかに関わらず、今回は完全にスピリチュアル視点だけで、この「罰当たり問題」について、解ったことをお伝えします。

 

あくまで個人的な体験と見解

その上で、しつこいようですが、さらに言っておきます。

以前からこのブログの中でも何度かお話ししていますが、これはあくまで私のオーラ診断の能力をもとに、読み取ったスピリチュアルな世界のお話であり。

ここに書くことすべてが真実では在りません。これはあくまで参考資料程度の、私の個人的な体験を紹介してるだけなので、その点を注意してください。

決して安易に「罰当たりって怖い・・・(゚A゚;)ゴクリ」なんて鵜呑みしないで、「へ~またまた、そんなこと言っちゃって!(*´▽`*)ハハ」程度に、サラリと読み流してください。

それぐらい軽くてちょうどいいと思います。(*´▽`*;)

 

スピリチュアルには罰は当たる

でもなんで、今回そこまでしつこく念を押すかというと、この話があまりにもスピリチュアルなお話になるからです。

そして結論として「神様は罰は当てないけど、罰当たりは実際に在るよ。」というお話しになるからです。

もちろんそれにはスピリチュアルな理由があります。きっとこれをきけば、あなたも「なるほどそういうことか。Σ(゚Д゚)!ガッテン!ガッテン!」となるでしょう。

そんな罰当たり問題に終止符を打つべく、私自身の罰当たりな経験を。。。ホントゴメンナサイ…(ノД`)・゜・。

いえ、私自身の貴重な体験談を紹介していきましょう。SFぐらいの気持ちで聞いてください。m(__)m

 

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井上さんの罰当たりな体験

井上さんの罰当たりな体験

ある年の夏も盛りの7月18日、晴れた清々しい昼下がりでした。

井上さんはいつものように、休日を過ごしながら、良く行く宮城県岩沼市にある「金蛇水神社かなへびすいじんじゃ」に来ていました。今日もいい天気で、お参り日和だな~って。(*´▽`*)ダネ

 

水神様を祭る金蛇水神社

この金蛇水神社は、水の神様である金蛇大神(水速女命みずはやめのみことさまが祀られているお社で、本当に境内も隅々まで綺麗で、参拝客も多い霊験あらたかな、商売と金運の神様です。

巳のお姿をご神体としていることから、境内にはいたるところに白蛇の姿が浮き出た「蛇紋石」がおかれ、いかにも蛇神様ともいえる様子。

同じく水の女神である、弁財天さまもお祭りされており、商売だけではなく、財力と知恵、技芸の神様として多くの人がお慕いしています。

白い鳥居のすぐ奥には藤棚があり、5月の初夏の季節になると、それはもう見事な藤の花が咲きます。また、神社の目の前には大きな牡丹園もあり、女神様らしいとても華やかなお社です。

この素晴らしいご神域で、井上さんは思わず、思わず、思わず、罰当たりなことをしてしまいました。(ノД`)・゜・。デキゴコロダカラ!

金蛇水神社 鳥居
■金蛇水神社の白い鳥居(2018/7/18)

 

藤棚で見つけた花の種

金蛇水神社に伺って境内を回りながらお参りをし終えて、藤棚のところに行って休んでいた時でした。(*´ω`*)フ-

いくつもの風鈴が風に揺れており、7月半ばでもうすぐ二十四節気の「大暑」になるかという、日差しが強い日でしたが、藤棚の下は涼しく、風鈴の音色が心の奥まで染みわたってきます。

なんとも居心地が良い場所で、ぼんやりとあたりを見渡していると、藤棚の隅の方に、そこから垂れ下がった藤の花の種が見えたのです。(*‘ω‘ *)ン!?

多くの房はもう綺麗に刈り取られ、ほんの1,2個が忘れ去られたかのように、ぶら下がっていました。


■金蛇水神社の風鈴の動画(2018/7/18)

 

井上さんは藤の花が大好き

藤の花と言えば、井上さんの一番大好きな花です。

子供の頃から公園などにもあり、とても身近に感じている紫色の花で、香りも心地よく、花の季節になると、あちらこちらの藤の花の名所を見て回るほど。

この金蛇水神社に初めて訪れた理由も、藤の花を見に来たことが切っ掛けでした。

井上さんは思いました。「ああ、この小さな種を家の庭に植えて、金蛇水神社の藤の花を育てられたら、なんてありがたいことだろう。」(*´ω`*)イイネー

頭の中ではもう藤の花が満開になって、心地の良い香りでいっぱいです。(*´ω`*)イイネー

 

出来事心は誰にでもあるよね

ふと手を伸ばすと、丁度手が届く高さに、その房がぶら下がっています。

「この小さな種が、綺麗な藤の花になるんだね~。(*´▽`*)」なんて思うと、家でも藤の花を育てられたらいいな~っとやっぱり思うわけです。

でもさすがにご神域の物を勝手に持ち出しては、罰が当たるかもしれません。昔から礼を欠いた罰当たりなことをすれば、必ず報いがやってくるとも言います。

そう思って周りを見渡すと、あまり人はおらず、神社の巫女さんも忙しくお仕事をしています。無断でお断りなく頂いていくのは、やっぱり良くないよね。(;´・ω・)ウン

きっと神様は罰なんて当てないんだろうけど。。。でもな。。。やっぱりな。。。う~ん。。。う~ん。。。ブチッ!ガサガサ。(*”ω”*)・・・

 

出来心の行く末は如何に?罰は当たるのか?

出来心の行く末は如何に?罰は当たるのか?

思わず、思わず、思わず、思わず、出来心でやってしまいました。(ノД`)・゜・。

でもその結果、とんでもないことが!

 

罰が当たらないか気になって仕方ない

その頃には一緒に行った妻が、風鈴に満足して笑顔で戻ってきます。

妻:「そろそろ、帰ろうか?(*´▽`*)/ココチヨカッター♪」←何も知らない人。

井上:「う、うん!そ、そろそろ行こうか。。。(*”ω”*)/」←すでに普通じゃない人。

二人で神社の鳥居を出て、駐車場へと向かうのですが、やっぱりポケットの中にある物が気になってソワソワするんです。(*”ω”*)ソワソワ,ソワソワ

「いや、これくらいなら、罰なんか当たららないよね。きっと大丈夫だよね。神様きっと優しいから。(*´▽`*;)ダ、ダヨネ!」そんな風に思ってしまうんです。

 

悪いことはやっぱり駄目です

そして車に乗って、いざ帰ろうかとすると。なんかイヤ~な予感がするんです。誰か怒ってるな~って感じがヒシヒシと。(;゚Д゚)ナンカヤバーイ

そこで意識をその感覚に向けて、エネルギー的に見ると。(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

2匹の白蛇さんがとぐろを巻いて、お社の方から「コ~~ラ~~~~~!(o゚Д゚o)_i(o゚Д゚o)_i」ってこっちを見ているんです。(゚Д゚;)キャー!!!

すでに罰が当たってるよ!(ノД`)・゜・。ゴメンナサーイ!

井上さんは慌てて、ご神域に戻って、無断でいただいたものを、お返ししてきたとさ。m(__)mタイヘンシツレイ,イタシマシタ

 

スピリチュアルな意味での罰が当たるとは

スピリチュアルな意味での罰が当たるとは

やってしまったことは、仕方ないとして。(*´▽`*;)←ハヤクミズニナガシタイ

今回は、神様に悪いことをすると、やっぱり罰当たりになるという事実ついて、スピリチュアルな視点から解ったことを解説します。

 

基本的に神様は罰は当てない

これはやってみて良く解ったのですが、やはり基本的に神様が人に罰を当てることはありません。

神様の次元と私たち物質世界とは、あまりにも次元が異なるので、物質世界の問題には捕らわれも無ければ、気にもなさいません。

それにこれは私の個人的な認識ですが、神様の次元には罪や罰という考え方自体がありません。

それはあくまで人間的な価値観や考え方であり、基本的に人が神様に対して、悪さをすることも、穢すことも、汚すことも出来ないのです。

 

それでは誰が罰を当てるのか?

これも結論としてですが、神様に悪さをしたことで、人に罰を当てるのは、そのお社を管轄する「御使い」としての霊的存在です。今回ですと白蛇さんですね。

以前にもこちらの「不思議な夢の体験談【スピリチュアルな明晰夢の実例】」で書きましたが、神社とは神様がいらっしゃる社であり、その霊的な空間を管轄したり、神様へのお取次ぎをするのが、それら霊的な御使いの役割です。

例えば神社には、神主さんと巫女さんが居て、その神社を清浄に保ったり、お祓いをして神様へのお取次ぎをしてくださいます。

それは物質次元での神社の管理者として、いつでも神様がいらっしゃるようにと、整えて、お取次ぎをして運営をされているわけです。

それと同じように、霊的な次元で神様のご利益をいきわたらせたり、願い事を伝える役割をしているのが、それぞれの社に居る御使いさんたちです。

 

物質世界では神主さんや巫女さんが正す

本来なら、例えば境内に落書きしたりすれば、神主さんや巫女さんに怒られます。

それは物質レベルの出来事して、神主さんや巫女さんが罰を当てるとうこと。もう少し正確にいうと、「反省させる」とか、「行いを正させる」という方が良いでしょうか。

罪を改めさせて、改心させるのです。

でも今回の件は、藤の花の種を断りなく持ち出すという、神社の人に知られないようにした行いです。

基本的に人が罰が当たらないかと気に病むのは、そんな人が見ていないときに、神様に失礼な行いをしたときです。

補足説明
ここでいう「巫女さん」とは、神社で働いている女性で、神職を補助して神明奉仕をされている方です。以前にこちらの「前世が「お姫様、魔女、巫女」という人の特徴をスピリチュアルに解説」で紹介した、チャネリングなどをお行う霊媒とは異なりますので、ご注意ください。

 

霊的世界では御使いが穢れを掃う

そこで出てくるのが、御使いとしての霊的存在たちです。彼らは神社を霊的なレベルで清浄に保つのが役目

ですから、このように悪さした人が出てくると、神域である神社が穢されてしまったと敏感に察知します。

神域は、神様のいらっしゃる場所として、エネルギー的にも清らかに保つべきですが、人が悪さをすると、罪の意識で神社が穢されたこととなります。

そう、問題は「種を持ち出した」ことではなく、神域に申し訳ないという気持ちを残したこと、神域で良心に反した行いをしたことが、穢れとなってしまうのです。

御使いたる存在は、その穢れを掃うべく、急いで飛んできて罰を当て、改心を促すわけです。

 

罰を当てるとはカルマの法則と同じ

これは厳密にはカルマの法則と同じ。悪いことをしたけど罰が当たることで、そのカルマが清算されてお社の穢れが掃われる。

カルマの法則とは、私たちの良心レベル、厳密には魂レベルで機能する仕組みですから、悪いことをすればそれがシッカリと記録されます。

そしてその罰を受けることで、私たちの心は改まりカルマが清算されるわけです。

心から反省して改心し、それを言葉と態度に表せば、そんな穢れは綺麗に払われる。その仕組みが、罰当たりという言葉となって、残っているのでしょう。

補足説明
カルマの法則とは、仏教的な因果応報の考え方で、何か悪さをするとその報いが訪れるという考え方。詳しくは「カルマの法則のスピリチュアルな意味と前世のカルマを解消する方法」で解説しています。

 

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「罰が当たる」ことはあるのか?まとめ

「罰が当たる」ことはあるのか?まとめ

さて、いかがでしたか?

色々と罰当たりのスピリチュアルな意味について、私の体験談を踏まえてお話ししてきましたが、何となくはその仕組みがお判りいただけましたか?

 

昔から誰もが感じてきたこと

これはあくまで私の個人的な体験談ですから、最初に申し上げたようにこれが全て正しいわけではありません。あくまで一個人の意見として、聞いておいていただければよいと思うのです。

ですが、昔から「罰当たり」という言葉がるように、人は神仏に非礼な行いをすると、何かしらの罰を与えられると考えてきました。

それ自体が、どのような仕組みで起きるかは解らなくても、潜在的にはそんな罰を受けることを誰もが感じ取ってきたのです。

だからこそ、その言葉や考え方が消えることなく、伝えられて来たのでしょう。

 

罰が当たる本当の意味

でも、こんな風に考えると良いかもしれません。

あなたが神様の存在を信じ、神社にいらっしゃる神様が、私たちの願いを聞き届け、お働きくださると思うなら。

きっと同じように、罰当たりなことをすれば、諌められるような出来事が起こります。

それは決して、あなたを貶めるような否定的なものではなく、やさしく暖く子を見守る親のような、神様の一つの愛情なのではないでしょうか。

誤った道に進んでいることを、身をもって知らされて正される。それが私たちに与えられる、罰の本当の意味だと思うのです。

 

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井上直哉
1989年大学に進学中に、独自にスピリチュアルの研究を行い体外離脱体験をもつ。医療機器メーカーに就職後、2001年に心理療法家として独立。3,000人以上のセラピー実績を持ち、年間20回以上のセミナーを全国で開催。2010年に株式会社ヒーリングアースを設立。現在は経営の傍ら個人セッション及びセミナーをこなしながら執筆活動に励む。ブログは年間300万人が訪れる。モットーは「現実が変わるスピリチュアル」です。
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