井上直哉
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こんにちは。
心理とスピリチュアルの専門家 井上直哉(@my_earth_naoya)です。
さて今日は、以前にセミナー後の相談会で聞かれたことについて、書いていきたいと思います。
それは、癌などの重い病気で亡くなった人が、死後の世界でどうされているのかという、とてもスピリチュアルな話です。
個人的には、これも大切なことだと思いますので、もし父親や母親との辛い死に別れを体験した方がいたら、参考にしていただけると嬉しいです。
今回書く内容は、あくまで私の体験からくる話ですが、きっと病気の末に両親を亡くされている方なら、誰もが気になることだと思います。
彼らの意識が、死後の世界でどのようにしているのか、そのことについてお話しします。
<目 次>
亡くなった父親についての相談
私のセミナーでは、毎回終わった後に「相談会」ということで、ご参加いただいた方の個人的な悩みについて伺っています。
スピリチュアルな話題について、真面目に相談できる相手もあまりいないと思うので、時間の許す限りお話を伺い、お答えしているのです。
死後の世界についての質問
そんなセミナー後の相談会でのことです。ある方が、死後のことについて質問されました。
それは、最近亡くなられたお父さんのことを想って、習ったばかりのスピリチュアルなスキルで、少しでも気持ちを軽くしてあげたいという、家族として言葉でした。
家族の心に残る辛い癌の闘病生活
私はその話を聞くと、彼女のオーラを観察して、亡くなられたお父さんが、死後の世界でどうされているのか、確認してみました。
すると、彼女のお父さんが、すでにあの世で楽しく過ごしている姿が見えたのです。ですから、
お父さんのことは、そんなに心配する必要は無いと思いますが。。。
と言いました。ですが、どうにも彼女の気持ちは微妙な雰囲気です。ですから、
お父さんは亡くなる時に、病気か何かで大変だったのですか?
と聞いてみたのです。
するとやはり、癌が原因で痩せ細ってしまって、とても辛い思いをしていたと、教えてくれました。
癌で死別した家族と死後の意識との大きな隔たり
私の義理の父も、数年前に癌で他界しました。
ですから、癌で闘病生活を送ることが、本人にもご家族にとっても、とても大変なことだとはよく知っています。
癌患者が末期に感じる、痛みや苦しみに対しては、家族としては何もすることが出来ず、ただ見守るほかありません。
ですから彼女の心の中には、癌で苦しんでいた父に、何もできなかったことへの、申し訳ない思いがあるのは当然のことです。
それが、死後の世界にいる父親に対して、癒してあげたいという気持ちとなって現れていたのです。
生前に父親が苦しんでいる姿を見ていたからこそ、そんな姿が脳裏に焼き付いてしまい、拭えなかったのでしょう。
家族の思いと死後の存在の気持ち
私にも、彼女のその切ない思いは、痛いほど良くわかります。
たとえ両親ではないとしても、親しくしていた間柄の人が、最後に苦しみながら死を迎える出来事は、残された者の心に残ります。
家族が持つ悔恨の思い
彼女のお父さんのように、死の直前に癌などの病気で闘病生活を送り、苦しむ姿を目の当たりにすれば、家族の誰もが思うのです。
あの人(故人)は本当に幸せだったのだろうか。あんな苦しく辛い思いをして、私たちのしたこと(闘病生活)は、間違っていなかっただろうか。
病気を克服して、また元気な姿に戻るために、癌の治療に取り組んできたけど、もっと良い方法が、あったのではないかと思ってしまうのです。
もっと穏やかに最後を迎えられる手段があったのではないかと。
死後の存在の意識は達成感で満たされる
ですが、そんな家族の思いとは裏腹に、病気で苦しんでいた人が死を迎えると、肉体から解放されて、意識だけのスピリチュアルな存在となります。
すると同時に、痛みも全く無くなるのです。突然、とても辛い痛みから解放されて、喜びと幸福感、そして達成感に包まれます。
その時には、本人にはもう痛みが全く無ないので、簡単にいうと「やっと終わった感」です。
その解放感たるや、言葉で表現できないくらい、スッキリとした喜びで満たされています。「やっと終わったよ〜!!!」的な。
死を迎えた彼らにとっては、生前の痛みは、もう終わった出来事に過ぎないのです。
死に対する認識の隔たり
ですから、そんな悔やむ気持ちを持って、相談してきた彼女とは裏腹に、霊的存在となった当のお父さんは、とても元気で幸せと喜びに包まれていました。
そこには、死を迎えた本人と、死を見送った私たちとの間での、大きな認識の隔たりがあるといえるでしょう。
私はそんな亡くなった人を送る家族と、死後の存在との気持ちのすれ違いを、幾度となく目にしてきました。
この世界に残された、私たちが受け止める辛く切ない死と、スピリチュアルな死後の世界での認識では、全く違っているのです。
私は昨年に義母を亡くしましたが、これまでにも多くの人の葬儀に参列して、死後の存在がどんな気持ちでいるのかを見定めてきました。
特に葬儀の時には、みなさん至って冷静に、自分が死んだことを受け止めていたりするのです。
死の直前での病気のスピリチュアルな意味
では、なぜ彼女のお父さんのように、死を迎える直前に、辛く苦しい思いをしなくてはならない人が、居るのでしょう。
そんな体験には、何かスピリチュアルな意味があるのでしょうか?
辛い闘病生活を送る目的とは
私は以前に、死を迎える直前に、闘病生活でとても苦しむ人がいるのは何故だろうと、思案したことがありました。
なぜそこまで、辛い思いをしないと、この人生を終えられなかったのだろうかと。。。
そこで、私がこれまでの経験と、スピリチュアルな視点から出した結論は、「人生の最後の総決算」です。
この人生をやりきるために必要な、最後の作業という結論です。
死者が自ら決めた最後の清算
それはこの人生で、より多くのカルマを解消して、より軽やかな心持ちで死後の世界に進むために、自ら決めた清算ではないかということです。
この人生の最後に、さらに一歩成長して、死後の世界へと旅立つための過程です。
もちろんそれは、「自ら決めた清算」とは言いましたが、生前の本人が意識的に決めていることではありません。
それは、私たちの心の奥深くに存在する、転生を繰り返すスピリチュアルな存在が、意識的に決めた清算だということです。
カルマの解消とは、生きている間に心に溜め込んだ感情である、執着や拘りを手放すことです。
人生の最後の総決算の意味とは
ではなぜ、そんな辛い思いをすることが、人生で最後の総決算になるのでしょう。
彼女のお父さんは、そんな辛い闘病生活を超えて死を迎えることで、何を成し遂げたのでしょうか?
痛みを感じることで進むカルマの解消
私がなぜ、そんな結論に至ったのかといえば、私たちは感情を感じることで、心の中のストレスを解放することが出来るからです。
それはこれまでの生活で、心の中に残ってしまった、ストレスなどの負のエネルギーを、取り除くことができるということ。
死を迎える直前に、痛みや苦しみを感じることで、自分の中に溜まった重たいエネルギーを放出し、波動を高めることが出来るからです。
そうすることで、より軽くなって、より多くのカルマを手放してから、次のステップに進めるのです。
解消するカルマの正体とは
その最後の取り組みであり、浄化作業が、痛みを伴うあの闘病生活なのでしょう。
痛みを感じることで、生前のストレスである罪悪感や自責の念などの重たい感情を手放し、より多くのカルマを減らしてから旅立つのです。
本来なら、その人が生前の日常生活で、解消して置けばよかったのですが、それが出来ないまま死を迎えるよりも、死の直前で清算してしまう方が良いという判断だったのでしょう。
そのために、彼女の父親の死ように、あえて大変な最後を遂げたのだと考えられます。スピリチュアルな視点から見ると、それが最も理にかなっている理由なのです。
私たちの心は、肉体が朽ちて失われても、霊的な存在として残り、死後の世界へと進んでいきます。
その際に、より多くのカルマ(重たい気持ち)を手放していた方が、より軽やかな世界(天国)へと進んでいくことができるのです。
残された家族には癒しが必要
私は彼女に言いました。
お父さん、生前は自分の好きなことやって、明るく自由に過ごしていたでしょう。
誰もが死を迎えると、その人が体調が良かった時の姿になるので、あなたのお父さんは、結構楽しんで過ごしていますよ。
だからお父さんの心配は全く必要ないけど、あなた自身の心の整理をするためには、魔法の言葉で癒すと良いですね。
きっと私が見ている、彼女のお父さんの姿を見たら、彼女はとても驚くと思うのです。
それぐらい、彼女のお父さんはその人生をやり遂げて、楽しく幸福感で満たされて、次に進んでいました。
スピリチュアルな死への理解
多くの人が、漠然と死後の世界があると思っています。
そして癌のような辛い死の場面を見てしまえば、死後のスピリチュアルな世界でも、きっと彼らは苦しんでいるのではないかと思っているのです。
でもそれは、とても大きな誤りです。
死とは肉体を脱いでエネルギー的な存在になること
先にも述べたように、私たちが死を迎えるということは、肉体を脱ぎ捨てることです。
それは五感とされる、感覚を手放し、純粋な意識だけのエネルギー体へと戻ることです。ですからそこには、肉体が持つような制約はありません。
体重もなければ、呼吸をする必要もなく、五感とされる感覚も、肉体を持っていた時と違います。
痛みや苦痛もなく、とても落ち着いた意識状態へと移行するのです。
人生とは苦しみであるという、仏教の「一切皆苦」という考えは、肉体を持つが故に、さまざまな苦しみを感じることに由来するのです。
人が自分の死を理解するのには多少の時間が必要
でも多くの人は、自分が死を迎えたことを受け入れるのに、多少の時間が掛かります。心の整理がつくまでに、多少の時間が必要なのです。
特に事故などで、突然無くなってしまった人は、まず自分が死んだことを理解する必要があります。
そして死の間際に、強い感情的なショックやストレスを感じていた人は、その感情に捕らわれてしまい易いのです。
なぜならそれは、肉体の痛みではなく、悲しみや憤り、憎しみや落ち込み、孤独感など、私たちの心に残っている感情だからです。
死を迎えると、彼女のお父さんにように、肉体を持つことで感じていた、さまざまな苦しみから解放されて、心(意識)だけの存在となるのです。
なので、死を迎える前に、心は軽くなっておくに越したことはありません。
葬儀の意味とお経のスピリチュアルな役割
ですが、心配しないでください。
それらの気持ちが整理できていない霊的存在も、葬儀で多くの人の悲しむ姿を見たり、お坊さんが唱えてくれるお経で死を悟っていきます。
私たちには、意味不明なお坊さんのお経も、霊的存在となった彼らには、自然と理解でいる真理として心に響いていくのです。
そしてそれと同時に、生きていた時に持っていた多くの執着を手放し、この人生を送った意味を思い出します。
それはとてもスピリチュアルな光景であり、まるで人が生まれ変わるかのような、心が目覚めていく瞬間です。
葬儀とは、残された家族が心を整理すると共に、死を迎えた存在の心にも、旅立ちの準備をしてもらう儀式なのです。
死に対する学びの大切さ
もしあなたの父親や母親、兄妹などの身近な家族が、同じように癌が原因で苦しみ、今世の人生を終えたなら、少し振り返ってみて下さい。
その方が、病気になる前には、楽しく人生を過ごせていたかどうかを。幸せそうだったかどうかを。
人生を終えていく世界
確かに人生は楽しいことばかりではありません。
ですがそんな、人として生きている時のすべての問題が消え去り、今を過ごしているとしたら。
お腹が空くことも、経済的な不安もなく、事故や病気の心配もなく、身体の痛みや不自由もなく、とても自由で軽やかな意識で死後を過ごせているとしたら。
きっと、とても幸せだと思うのです。まさにそんな感じです。それこそまさに、天国と言うのに相応しい場所だと言えるでしょう。
古き伝統や文化の役割
私たちは、自分が最後に経験する死について、その後に進むスピリチュアルな死後の世界について、あまりにも知らなすぎるのかもしれません。
昔なら、お坊さんの説法や、昔話や民話などで伝えられていた死後の世界が、自然と私たちの心へと届き、死について理解させていたのでしょう。
ですがそれらの知識や、死後の世界に対するイメージも、今となってはまるで科学的ではない、空想のように思われています。
私たちは、今こそ古き伝統や文化の役割を、見直す時期に来ているのかも知れません。
死に対する学びが人生を活かす
それにより、もっと死について学び、死後の世界についても理解を深めることで、より今を大切に生きられるのです。
ですから私は、あなたが今をより健やかに生き切るために、こんな死後の世界や輪廻転生について話をしています。
父親や母親の死は、私たちが自分の人生を振り返り、死について考え直すための、大切な機会だといえるでしょう。
時にはこんな、スピリチュアルな話に触れることで、故人を偲んでいただきながら、死について想いを回らしてもらえればと、思うばかりです。
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死後の世界って、どうなっているのでしょう?実は最近、父親を亡くして、それで気になったので。
自分の問題だとは思うのですが、今回習った「魔法の言葉」を使っうことで、父のことも癒しても良いですかね。