井上直哉
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こんにちは。
心理とスピリチュアルの専門家 井上直哉です。
今回は、人が死後にどのような世界に行くのか、その点についてスピリチュアルな視点から、お話ししたいと思います。
死後の世界には、三途の川があり、閻魔様がいて、天国や地獄に行くなど、昔から色々な言い伝えがあります。
最近では、臨死体験をされた方の話が、Youtubeなどで数多く紹介されており、様々な視点から死後の世界について語られています。
今回私が話すのは、オーラを見る能力で、死者の行く末を見ることで理解した、スピリチュアルな死後の世界の様相です。
この内容を見れば、天国や地獄がどのような場所なのか、明確な実感が湧くことでしょう。
<目 次>
死後の世界を知り得た経緯
この死後の世界についての話をする上で、私が今回の内容を知り得た背景からお伝えしましょう。
死後の世界を知った経験
私は、これまでに多くの人のオーラを見ることで、その人たちの前世の姿や、転生の経緯について知り得てきました。
また、私自身が体外離脱体験をしてきたことから、人は死後にもエネルギー体として、存在すること実感してきました。
そして何よりも、自分の身近にいた人たちが、死後の世界でどのように過ごしているのかを、霊視で垣間見てきました。
今回お話しする内容は、それらの体験から分かった、死後の世界のおける様子です。
死の直後に大切なこと
まず、私たちが死を迎えた時に、何よりも大切なことは、自分の死を自覚することです。
ほとんどの人は、死を迎えた瞬間にはそのことに気が付かず、生前の意識状態のままで、自分の死と向き合うことになります。
自分の葬儀で、家族が悲しむ姿を目の当たりにして、ようやく自分の死を自覚して受け入れるのです。
そして、葬儀でお坊さんが唱えるお経を聞くことで、今回の人生における未練を手放し、気持ちを整理して死後の世界に旅立っていきます。
現世に留まる人たち
ですが本当に稀に、突然の死によるショックや、葬儀や供養がなされないことで、自分の死に気付けず、現世に残ってしまう人がいます。
死後の私たちは、すでに肉体を失い、霊的な存在となっているので、空腹や眠気、寒さや暑さを感じることがありません。
そのため、死後は時間経過を認識することができず、漠然とした意識状態のまま、ずっと幽霊としてその場に留まってしまうのです。
そしていずれ、何かの機会に供養されたり、留まる場所が朽ち果てて失われると、あの世へと帰っていきます。
死後に向かう世界の様子
死を自覚した私たちは、霊的存在となり、現世を離れてエネルギーの世界へと向かっていきます。
この段階になると、その人それぞれの状況によって、行く先が変わっていきます。
大往生を遂げた人
例えば、死を迎える段階で、生前にやり残したことがなく、ほとんど執着を手放して大往生を遂げた人は、そのまま天国と言われる世界へと向かいます。
天国と言っても、彼らの行く場所は十人十色で、ほとんどの人は自分が生前に過ごしていた場所と、酷似した世界へと向かうのです。
その人の生前の生活が、反映されたような世界で、生きることについてのあらゆる苦悩から解放されて、霊的存在としての穏やかな時間を過ごします。
これが天国と言われる世界の1つの姿です。
それぞれの天国の様相とは
ですから一言で天国と言っても、この現実世界に様々な国や地域があるように、霊的な世界にも多種多様な天国があります。
ですが総じて言えることは、執着の少ない存在たちは、誰もが自分がいる場所としてふさわしい世界に向かうのです。
高級でハイセンスな天国もあれば、ナチュラルテイストでほのぼのとした、庭園のような天国もあるでしょう。
これをもう少し厳密にいうなら、その人が現世で体験した生活や、波動レベルに見合った世界で、心穏やかに滞在することになるのです。
執着や未練を持った人
ですがその段階で、生前の執着や未練を持っていると、その気持ちを清算するための世界へと向かいます。
その思いを持ったままでは、本来自分が行くべき天国には波動が合わないために、何年何十年という期間をかけて、自分の気持ちを整理するのです。
そして執着や未練が清算されたところで、本来行くべき天国とされるような、生前に心穏やかに過ごせていた場所に、似た世界へと向かいます。
ほとんどの人は、このような経緯を辿って、死後の世界でも生前と変わらないような場所で、穏やかな時を過ごすことができるでしょう。
私たちにとっての天国とは、決して特別な場所ではなく、馴染み深い心安らぐ住居のような場所なのです。
疑獄に向かう人たち
ですが、ごくごく一部に、本当に地獄とされるような、厳しい世界へと赴くことになる人がいます。
なぜなら、そもそも現実世界で生きていた時にも、地獄のような心持ちで、感情や執着に振り回されて、我を忘れて生きていたからです。
この現実世界にいながらも、まさに地獄さながらの気持ちで人生を送っていると、そんな生前の気持ちを彷彿とさせる世界へと行くことになります。
私たちは、あまりにも強い執着や否定感を持っていると、死後にその気持ちに囚われて、その気持ちが現実化したような世界に向かうのです。
ある意味それも、持ち越した執着や未練を、清算するためだと言えるでしょう。
死後の世界に地獄は存在するか?
でも、天国はともかくとして、本当に地獄のような場所が存在するのでしょうか。
実は私はそれが知りたくて、色々な人の死後の世界を、霊視で垣間見たことがあります。
灼熱地獄に落ちた政治家
ある海外の政治家で、生前に怒りの激情に駆られて犯罪に手を染め、ついには死に至った人の話をニュースで見たことがありました。
私はその人が、死後の世界ではどのような場所に滞在しているのか、とても興味があり霊視で見定めてみました。
すると驚いたことに、火山の噴火口のような、マグマの溢れ出る場所で、怒りの激情に駆られながら喘ぎ、恨み節を叫んでいたのです。
そう、あまりにも強い怒りや恨みで、我を忘れるほど身を焦がした人は、死後の世界では、その気持にふさわしい灼熱地獄に赴くのです。
阿鼻叫喚地獄に落ちた人
またある時は、海外の映画俳優で、犯罪に手を染めたのちに、禁止薬物の過剰摂取でこの世を去った人のことを知りました。
ですから、その人は死後の世界でどうしているのか、見定めてみたのです。
するとこれも驚くことに、いわゆる阿鼻叫喚地獄とされる場所で、我を忘れて暴れ回っていました。
ある意味、生前に薬物に依存して、我を忘れていた気持ちそのままの、死後の世界に行っていたのです。
そう簡単に地獄にはいかない
私はこれらの事例を目の当たりにして、驚くとともにある安心感も感じました。
それは、いわゆる地獄とされるような極端な世界には、生前に我を忘れて犯罪に手を染め、極端な最後を遂げない限り、そう簡単には行かないということです。
このようなことを言うのも何ですが、きっと私たち一般人は、天国に行くよりも、地獄に行くことの方が難しいでしょう。
日常で、怒りをや悔しさを感じるとか、思わず感情的になるとか、ちょっと罪を犯して反省するとか、そういうレベルの話しではないのです。
輪廻転生からの解脱を遂げる人
ここまでは、天国や地獄がどのような場所なのか、実例を紹介しながらお伝えしてきました。
ですが、そんな天国や地獄が存在する、霊界を素通りして、さらにその先に進む人がごく稀にいます。
輪廻転生からの解脱を遂げた人
それは現世で悟りを開いて、輪廻転生からの解脱を成し遂げた人です。
彼らは死を迎える前から、すでに即身成仏を遂げており、生きながらに仏となっているため、全く未練や執着を持っていません。
すると、死後に心を整理するまでもなく、すぐに霊的な世界を通過して、神界の一部とされる魂の世界へと向かっていきます。
そして天国のような穏やかな環境で、この宇宙の一部として存在することになるのです。
魂とされる次元までの浄化
彼らは、魂とされる高い次元まで、自分の執着や未練を浄化し尽くした存在なのです。
ですから、ある意味すでに人ではなく、宇宙の一面として存在しているといっても、過言ではないでしょう。
そのため天国や地獄などの、個としての意識レベルである霊界には、留まる必要がありません。仏陀のような存在です。
そうなるともう、改めて転生するかどうかは自由です。
天国の人が転生する理由
天国で死後を過ごす人たちは、どんなに心安らぐ穏やかな場所に居ても、結局は未練や執着を捨てきれずに、この地球に転生してきます。
それは決して、私たちが望まぬ転生を嫌々繰り返しているのではなく、私たちの潜在意識が自ら望んで、生まれ変わってくるのです。
ポイントは、あくまで生まれ変わりを望むのは潜在意識であり、冷静に物事を分析できる、大人としての健在意識ではないということです。
その点については、以前に「親ガチャの本当の答えとは」という動画で詳しく解説しているので、そちらをご覧ください。
輪廻転生を終えるためには
ですから、輪廻転生を終えるためには、自分を客観視できない霊界よりも、現世の方が取り組みやすいと言えるでしょう。
そのために、多くの霊的に成長した存在は、今一度生まれ変わって現世での解脱を目指すのです。
生きながらに仏となれるほど、潜在意識に残っている執着や未練を捨てることができれば、もう生まれ変わる必要はありません。
それが仏教で説かれている、輪廻転生からの解脱への道のりです。
亡くなった人を供養する大切さ
いかがでしたか?今回は、人は死後にどんな世界へ行くのか、私の実体験をもとに、スピリチュアルな視点から解説してきました。
では最後に、死後の世界について、こんなことをお伝えして終わりにしましょう。
死後の世界は現世と大差ない
天国や地獄というと、とても両極端な世界であるイメージが、先行してしまいがちです。ですが実は、結構普通の世界だったりするのです。
でも大きな違いは、生きることへの苦悩から解放された、世界であるということです。
環境はさほど変わらなくても、その生きる苦悩がなくなれば、私たちにとってその場は、天国と呼ぶにふさわしい場所となるのです。
以前に「究極の不安からの解放」で紹介したように、現世における苦悩とは、ほとんどが生きる上での不安なのです。
死後の世界の違いは1つ
ですから、死後の世界を恐れることなく、今の人生を、より素晴らしいものにすることに取り組んでください。
私たちにとって、死とは1つの通過点でしかありません。
その先にあるのは、今のあなた自身の心持ちにふさわしい、世界が広がっているだけです。
現世との大きな違いは、生きることへの苦悩がないということ、ただそれぐらいのものなのです。
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