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こんにちは。
心理とスピリチュアルの専門家 井上直哉です。
今回は自分の存在意義について、今まさに問いただしているあなたに贈るブログです。
私たちは誰しも、人生の節目や変化の時期に、自分の存在意義や自分の価値について、問いただすことがあります。
それはとても大切な時間で、じっくりと自分の本質に向かって、目を向け、見定めているときです。
私はそんな時間がとても重要だと考えていますし、そこから目を背けないで欲しいと思っています。
ですから今回は、そんな自分の中に浮かび上がる疑問、その問いかけに目を向けているあなたに贈るブログです。
「人生の目的」に求める自分の存在意義


オーラ診断のセッションをしていると、本当に稀に聞かれる質問があります。
それは『私の人生の目的は何ですか?』という、とっても率直な質問です。多くの人が一度は聞いてみたい質問だと思います。
でもそれは同時に、自分の存在意義を知るための質問だと、いえるかもしれません。
私がオーラ診断を受けた経験を省みると
私が以前にオーラ診断を学んでいた頃、一緒に学んでいた多くのリーダー(オーラ診断家)に、自分のことを質問できる機会がありました。
もちろんそれは練習として、質問して回答を貰えるのですが、十数名のリーダーに色々と聞けるとしたら、それはとても幸運で貴重な体験です。
私はオーラ診断を学びながら、自分のオーラを幾度も見てもらえるそんな体験をしてきました。
でも改めて今振り返ってみると、私が彼らに聞いていたことは、いつも現実的な質問で、その中に「人生の目的」はありませんでした。
それはある意味、聞く必要が無かったのかもしれません。
人生の目的は本人のみが知ること
みなさんはいかがですか?占いなどで、人生の目的について聞いたこと、在ったりしますか?
私も星占いや、手相などは大好きですし、前世療法のセッションをするぐらいですから、こういった質問は大好きです。
知りたいですか?っと問われれば、もちろん知りたいと答えます。
でも振り返ってみると、それを聞こうとしたことはありませんでした。それはもう「人生の目的」が、明確だからではないのです。
きっと、私自身これまで人生を過ごし、そして多くの人の人生に関わり、感じてきた結果として、それが本人にしか知りえないことのように、感じていたからかもしれません。
人生の目的は今世に学ぶこと
人生の目的は、人から教えてもらえることではないのです。それがオーラ診断のセッションで、前世を振り返り、自分らしさを整理するワークであってもです。
私がセッションでこの質問をされると、その人が今世どんな課題を持って、この人生に臨んでいるか、それを確認してみます。
前世からの繋がり、そして今世の人生への影響、そこから今世学ぶべきことについてです。
前世療法のセッションでも、お受けいただく方に、同じように確認していただきます。
「人生の目的」という自分の存在意義を問う
ですが、得てしてそれは、その方が求める『人生の目的』とは、異なる答えを導き出すことかもしれません。
なぜなら、この質問をされる方の多くが、今世自分は何を成し遂げるべきか訪ねてくるからです。
もっと明確にいうなら、私はこの世界にどう役立てるか?それを望んでいることが多いからです。それはある意味、自分の存在意義を、問いただしていると言えるかもしれません。
でも実際には、あなたが存在する意義は、あなた自身のために他ならないのです。あなたの人生はあなたの自身のためにあり、誰のための物でもないのです。
自分の存在意義とは


私たちにとって、自分の存在意義とは何でしょうか?
自分の存在意義について考えると、どうしても「自分がこの社会でどんな役割を果たせるか?」とか、「自分が今いる集団の中で、どう振る舞うべきか?」と考えがちです。
でもそれが、本当に自分の存在意義を見定める方法なのでしょうか?
なぜ自分の存在意義を見失うのか?
私たちは時として、自分の存在意義を見失いがちになります。
それは先のように、その社会の中での自分や、集団の中での自分を意識して、無意識に周囲に自分を合わせてしまうからです。
その結果、いつの間にか本来の自分らしさを見失ってしまい、周囲の言葉に翻弄されて自尊心を著しく低下させてしまうのです。
それは、自分らしく振る舞えなくなってしまった結果に陥る、自己喪失状態だといえます。
自分の存在意義を見失う問題の核
ですから、自分の存在意義を見失う問題の根本は、自分より周囲を優先してしまうところにあります。
自分の意思よりも、周囲の意見や言葉を重視して生きようとしたときに、自分の意思が失われ=自分が存在する意味が失われてしまうのです。
私たち日本人の多くは、周囲の人と調和することを優先して、自分を周りに合わせがちです。
それは周囲に調和して貢献する良い面でもありますが、その反面、そのままでは自己主張する機会を失ってしまうのです。
周囲への貢献を自分の存在意義にすべきか?


歴史を振り返ってみると、多くの偉人が、これまでに人類に貢献して、この世を去っています。時にそれは献身的な活動で、無心と言えるような立派な行いかもしれません。
まるで人類が成長し、新たな段階に進むために、人類のために存在して居たかのようにも思えます。
そう、彼らの存在意義は、まるで人類への貢献のように思えるのです。
多くの偉人も自分の自己成長のために人生を送る
ですが、私の個人的な見解として、それは人類の為でも周囲の人々の為でもありません。
やはり彼ら自身のために、その人生を送ったと感じるのです。それはもちろん利己的な意味での、自分の為ではありません。自分自身の成長と学びのためです。
彼らは自分の成長と学びのために生き、その結果、世界に貢献したと思うのです。
それは自分の成長が主であり、その中での人類への貢献が、従であると思えるのです。
貢献はプラスのカルマとなる
もしあなたが、人に貢献する、人類に貢献したい気持ちから行動するなら、それはカルマ(業)になります。
あなたが人のためにしてあげたいと思い、そして行動した時、そこにカルマが生まれるのです。
それは決して負のカルマではなく、プラスのカルマ(徳)と言えるかも知れません。
でもそのカルマは、どちらにせよ最終的にはあなた自身で、清算するする必要のあるカルマとなるのです。
カルマについては、こちらの「カルマの法則のスピリチュアルな意味と前世のカルマを解消する方法」でも、詳しく解説しています。
貢献心も手放す人たち
多くの僧侶や禅に励む人々は、この人生で人々にために貢献することを、目的とはしていません。
それは彼ら自身が、その貢献心さえも、カルマを生むものと理解しているからではないでしょうか。
彼らはそのプラスのカルマさえも、人としていずれ手放し解消すべき、煩悩であると理解しているのです。
だからこそ彼らは、自分の心を整えることにこの人生の意義を感じ、日々自分と向き合っているのです。
自分の存在意義を得るために


私は社会への貢献や、周囲との調和を重んじることは、決して間違っていないと思います。でも同時に、その気持ちのあり方には、順番がとても重要だと考えます。
それは自分を尊重することが1番、そしてその上で、社会や周囲の人への貢献が2番です。
この順番が逆転してしまうと、私たちは自分を尊重することができず、自分の存在意義を見失ってしまうのです。
あなた自身のために人生を生きる
『人生ALLOK』私の親しい友人でもあり、人生の先輩でもある方が、お会いするといつも仰る言葉です。
みなさんがどう思われるかは別として、私自身もこの世界と人生は、ある意味パーフェックトだと考えています。
それは自分が成長し輝くために、必要な現実が訪れるという意味でです。
そしてもしこの世界がパーフェックトなら、あなたが誰の為に生きる必要があるでしょうか。
大切な自分に語り掛ける時間
私たちの人生は、私たち自身の活躍の場として準備されたパーフェクトな世界です。
あなたが存在する意義は、あなた自身を磨き、この世界で輝かせるためです。
ですから、そんな自分の存在意義を問うような、自分の本質に向き合う時間を、ぜひ大切にしてください。
そして時折、迷ったときには、自分に語り掛ける時間を取ってください。
自分の存在意義を見失わない生き方
あなたが自らの成長のために、この人生を使い切ろうと決断した時、あなたはすでに「人生の目的」に向かい一歩踏み出しています。
そしてその時には、もう自分の存在意義を見失うことはないでしょう。
大切なのは、どこに向かい、何を成し遂げるかではありません。
何のために、歩んでいるのかなのです。
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