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こんにちは
心理とスピリチュアルの専門家 井上直哉です。
今日は家運を上げる方法について、お話しします。
でもそれは風水のように、ある方角に何かを置くと良いとか、そんな話ではありません。エネルギーワーカー的に家運を整えることについて、根本的なところをお話ししていきます。
それは昔ながらに言われている「一家の大黒柱とは何を意味するのか?」についてです。
あなたも自分の家を振り返りながら、この一家の大黒柱について確認してみて下さい。
これは私の実体験から感じたお家の運気を整えるためのとても大切なことです。
過去の大黒柱が折れた出来事


まずは私の家に在った大黒柱の話から始めましょう。
いつも義父の背中越しに見えていた、あの大黒柱の話しからです。
大黒柱が折れたとき
2011年3月11日、東日本大震災の時に、会津若松市は震度6弱の強い揺れに見舞われました。
私の家にはその時、中学生の息子が帰宅していましたが、幸い怪我もなく、家の電化製品が幾つかダメになっただけで済みました。
そんな震災から、数ヶ月が経ち、少し気持ちも落ち着いた頃です。
家の大黒柱が、裂けるように割れて、折れていることに気付いたのは。
震災で耐えられずに裂けてしまった大黒柱
私が当時住んでいた家は、木造の2階建てで築30年程度経っていました。
どこにでもある和風の家で、17年前ぐらい前に、大規模な増改築をおこなっており、見た目はまだまだ綺麗なものした。
ですが、家の中心にある大黒柱は揺れに耐え切れずに見事に裂けてしまったのです。
そのころは余震が続き、このまま放置して家族で過ごす訳にもいかず。震災が起きたその年に、家の建て替えを決めました。
家を建て替えて気付いたこと
翌年の夏には、新しい家も完成して、やっと落ち着いた日々が過ごせる様になりました。
以前の家から引き継いだのは、『風水的な家運を向上させる方法【実体験】』でお話しした木製の表札だけ。
もちろん家具は前の物を幾つも使っていますが、自分で家を建てたのは今回が初めて、隅から隅まで自分でプランを練り上げて建てた家です。
これぞ間違いなく、自分の家だといえるようになりました。
一家の大黒柱の代替わり


それからしばらく、新しい家に住んでいて、ふと気付いたことがありました。
それは紛れもなく、自分がこの家の大黒柱になっていることにです。そう精神的な大黒柱として、家に居ることにです。
昔ながらの頑固で一本気な大黒柱
それはある意味、井上家の代替わりが、完全に終わっていること意味しました。
義父から自分へと、井上家の大黒柱としての役割がすべて引き継がれたことをです。
私は23の時に、妻の実家に婿入りする形で結婚しました。
その頃は義父が、青果卸と商店を経営する個人事業主です。
毎朝暗いうちに市場に行き、夜は家で晩酌という日々、その父の背中越しに在ったのが、あの大黒柱です。
一家の大黒柱が突然倒れる大きな転機
そのころの私は会社勤めしながら、妻の両親と一緒に家に住んでいました。
頑固ながらも一本気な義父は、紛れもなくその家の大黒柱でした。
そんな普通の生活に大きな転機が訪れたのは、私が25才の時、まさにその日は息子の出産予定日でした。
義父が仕事中に脳梗塞で倒れ、近くの病院に救急搬送されたのです。
それは一家の大黒柱が突然倒れ、まるで時間が一度止まったような、ショッキングな一日でした。
大黒柱としての役割を終える時


それから数か月後、義父は幸いにも一命をとりとめ、半身不随で自宅に戻ってきました。
そしてあの大黒柱の前に座り、再び一家の大黒柱としての役割を担ったのです。
大黒柱としての役割を終えるとき
もちろん半身不随の義父には、もう仕事は一切できません。青果卸の仕事は清算して、義母がやっていた商店も閉じました。義母は義父のリハビリと介助で、一日中つきっきりです。
でもそんな状態でありながらも、井上家はどこか義父を精神的な頼りとして、一家の大黒柱としての役を担わせていたのです。
それから11年の歳月が流れ、私はセラピストとして独立し、会津にお店も出しました。あの時に誕生した長男は、11歳になりもうすぐ中学生です。
その11年という歳月は、ゆっくりと私と義父との関係を変えていきました。
一家の大黒柱としての役目を終えた父
そう義父はいつも通り大黒柱の前にいましたが、すでに経済的にも精神的にも、私がその役割を担うようになっていたのです。
9割がた、一家の大黒柱としての役目が私に移ったその年に、義父は癌で他界しました。
そしてそれから2年後に、あの東日本大震災があり、義父の大黒柱は折れてヒビ割れたのです。
そして家も建て替えられ、私が名実ともに井上家を引き継ぎました。
そして今振り返れば思うこと
たまに義父のことを思いだすと、こんな風に思うのです。
義父が脳梗塞でも一命をとりとめ、半身不随で11年の月日を送ったのは、私が大黒柱に育つまで見守っていてくれたのかなと。
きっとあの25の時に義父がそのまま他界していたら、まさに井上家は精神的な屋台骨としての大黒柱を、失っていたでしょう。
確かにそのことで、経済的には大変な時期もありましたが、曲がりなりにも義父がいたことで、家族は安心できていたと感じるのです。
そんな義父に心から感謝しています。
一家の大黒柱としての意味とは


さて長くなりましたが、ここからが本題です。
ではあなたも、自分を振り返って、あなたの家の大黒柱は誰でしょうか?
もしあなた自身なら、あなたは精神的な一家の大黒柱としての意味を理解し、その役割を果たしていますか?
もしくはあなたのご主人が一家の大黒柱なら、それを意識して尊重していますか?
一家の大黒柱が存在する意味は家族の安定
私は家族の中で、この一家の大黒柱が精神的な支えとなること、揺らがない安定感を保つことが、とても大切だと思っています。
その安定感があればこそ、家族の心の拠り所となり、妻子が安心できる場所となるのです。
家という建物があったとしても、そこに大黒柱としての存在が居ないと、その家は本当の意味で心から安心できる場所にはならないのです。
家族が集い安心して休む場所としての、役割が果たせないのです。
大黒柱が定まらないと家が乱れる
でも今周囲を振り返ってみると、
奥さんが大黒柱なのか?
ご主人が大黒柱なのか?
それとも祖父なのか祖母なのか?
誰が一家の大黒柱なのか解らないお家が意外と多くあります。
まさに今、代替わりの時期を迎えているそんなお宅もあります。
一家の大黒柱とは家族の心の礎
その大黒柱が定まらない状態では、必ず家庭は不安定になります。
家族の誰もが、精神的に誰を頼りにして、どこを中心に寄り添っていいのか、解らなくなるのです。
ですから、家族が不調和で、安定していないのなら、まずは一家の大黒柱が誰なのかを確認しましょう。
そしてそれが、あなたじゃないのなら、明確に自覚させましょう。
あなたがこの家の大黒柱なんだと。
一家の大黒柱とは、家族の心が寄り添う、精神的な礎としての役割を意味するのです。
一家の大黒柱が代替わりをするとき


ご覧いただいても解るように、私の代替わりはとても自然と訪れたことでした。
父が半身不随になって、動けなくなることで、必然的に起こった一家の大黒柱としての代替わりでした。
私の実家での大黒柱の代替わり
ですが実際には、ほとんどのお宅で、今までの大黒柱としての父親が健在だと思います。
そして、父親の定年や引退に伴って、経済的な大黒柱が父親から息子世代に変わっても、その威厳は変わらず、一家の大黒柱の代替わりが難しい家もあることでしょう。
私は自分の実家が、家業をしていたことから、そんな兄と父そして母との関係を『子離れできないと感じる母親に読んでほしい5つの対処法【実体験】』にも書きました。
この記事は、健在な父が母と共に身を引く、私の実家の代替わりの様子を記しています。
一家の大黒柱の代替わりは決意して進め!
そしてもし、あなたが代替わりの必要があると感じたのなら。
決意して前進すべきです。
もちろんそこには、今まで一家を支えてきた大きな壁が、立ちはだかることでしょう。
でもひるむことなく、決意して進む必要があります。
なぜならそれが、あなたが乗り越えるべき壁で在り、あなたの役割だからです。
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